滝の地学記録カード 浅間火山東麓 湯川水系 白糸の滝 
  
良くできた地下水型の人工滝。新知見炸裂 2010/09/01
2010/11/30改造年についての誤りを修正  2010/12/10 改造年について新資料速報追加
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白糸の滝全景  合成 金の雲はつなぎの隙間隠し
 有名な観光滝の白糸の滝。
その地形について、語られざる事項が多々あるのではということで、観察記録として作成しました
 
何しろよそ者なので、地元の方から見ると誤認等も多いと思います。
御笑覧・後教示くだされば幸いです。
褐色の道路が、白糸ハイランドウエイ
国土地理院2.5万地形図「浅間山」より
 <もくじ>

1.概要    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この下
  
2.文献の記述 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こちら
  

3.滝周辺の地学みどころ案内・・・・・・・・・
こちら
  

4.改造前地形の復元・・・・・・・・・・・・・・・・こちら
  
5.滝の改造時期 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こちら
  
6.定例データ 滝の諸元・・・・・・・・・・・・・・こちら
  
7.参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こちら


 
牛のよだれのように延々と下に続いています。
 お急ぎの方は、お目当ての章に飛んでください。
(^_^.)

 文中の図は、滝おやじ作図。無許可複製不可です。
1.概要     ページのはじめに戻る
 観光名所で有名な、長野県軽井沢町の白糸の滝。・・・以下「白糸滝」と表記します。
 この滝は軽井沢町の北縁、浅間火山の東麓にあります。 2.5mぐらいの低い崖の地層から水が湧いて、池に落ちている風景は、観光ポスターでおなじみです。


堰堤の下に自然の湧水滝?
 <観光写真で見る>

 ポスター写真で見る限り、滝の崖は、湧水が滝になるように、湧水下の斜面を、少々掘り込んで加工したものに見えます。
 また、滝の下流には、こっちからも湧出している?滝(右の画像)もあります。
 少々の掘り込みは、地下水型の滝としてよくあることですし、滝の本にも、地質の案内にも、観光案内にも、自然の滝として書いてあります。自然の泉の裾をちょっと掘り込んで加工した滝だということなのでしょう。

 写真を見ますと、滝の平面が長楕円の曲線をなす線になっていて、滝前は浅い滝壺のようになっています。つまり、崖を元の斜面に戻しますと、本来は、周囲半分の湖畔が湧水線になった丸っこい池で、それを少々加工して滝にしたみたいです。
 さて、そうだとすると、この平面形が、自然の普通形ではありません。 自然の地形であるなら、ちょっと加工されているとはいえ、すごく珍しい自然の造形ということになります。
 そうゆう珍しい自然って、えらく面白いです。
 また、大量に湧水していてそれも面白そうです。
 そんなことで、一度は尋ねてみたいと思っておりました。
 過日、ついでの用がありましたので、周りを歩き、図書館で資料をあさってみました。

半円形の池を加工? 不思議な形。 下の水面は滝壺?


白糸の滝 改造推定
 <滝を観る・・・良くできた滝>

 この滝は、白糸ハイランドウエイという、湯川沿いの観光有料道路の途中にあって、浅間山東麓の立ち寄り観光地になっていました。
 湯川の上流の流れに、短い支流の谷が合流しています。支流の出会いが、入り口で、駐車場や食堂・トイレがあります。 大いに繁盛しているようでした。
 その短い谷の谷頭に泉があり、滝になっています。入り口から約200mほどです。

 行ってみますと、滝のすぐ下流にある自然の滝 ?(上の右図) は、人工の滝で、滝壺(上の左図)は人工の堰の池だとすぐにわかりました。深読みしすぎでした。
 しかし、最大の不思議であった滝の平面形(上の左図)は、ちょっと加工しただけの自然の形に見え、かなり首をひねりました。
 しかし、よくよくみると、その滝の平面形も、人工的に改変されたものだと判断できました。改造の大きな人工地形で、ものすごく改造されていますので、前の姿が想像できないほどなのです。
 私の見るところ、泉が湧いていた2つの谷を、間の尾根を削り取って、連続した1つの崖・滝に造成した人工滝です。・・・右図参照。
  なかなか巧妙に作ってあって、大規模な人工滝ですが、一見、自然の滝にちょっと手を入れた程度の半人工の加工滝であるかのように仕上げてあります。
 実際、良い出来です。 来訪者は自然の形だと思って、綺麗だと感心して見ているほどですし、新しく作られた滝として、成功した滝ですね。

 造成目的は、農業目的の水利用がされてませんので、観光用と思われます(滝の下の池と堰は治水目的もあるかもしれません)。
 造成時期は、名前から言いますと、明治時代に開発されたものかと思いましたが、文献から見ますと、時期は昭和初期のようですね。

・・・・これについては、昭和時代だが、戦後まもなくではと推定して2010年9月に発表しましたが、その後、地元の江川良武氏よりご教示を頂き、昭和9年(1934年)以前であると訂正させて頂きます(後述)。

 造成時期は、名前から言いますと、明治時代に開発されたものかと思いましたが、文献から見ますと、時期は昭和、それも戦後のようですね。
 なお、余談ですが、「人工滝だから良くない」とは思っていません。水は自然ですし、泉としては大したものです。滝としても、きれいに作ってあります。
 景色の観賞というのは、「より詳しく見た方が、より面白くなる」ものですよね。里山の自然のように、人間の手が入った自然も面白いです。
 この滝は、庭園を鑑賞するつもりで見ればいいのではと思います。


滝の不透水層が地形性断層で変形して凹みを作る
 <立派な泉>

 白糸滝で湧く地下水は、その豊富な水量が目を引きます。
 地下水学の論文で見ますと、白糸滝周辺の湧水と、それ以外の湧水では、水質が異なり、白糸滝の地下水は浅間火山山体の水で、それ以外の地下水は周辺の雨水起源であるとのことで、豊富な水量と異なる水質は、浅間火山の山体起源の地下水が、地下構造により、白糸滝で集中して湧出するためのようです。

 浅間火山東麓のこの地域の地質は、基盤を作っている古い地層が凹みを作り、その凹みに、現浅間火山の前身である黒斑山火山の山体が壊れ、流下した塚原岩屑なだれ堆積物(岩質は、凝灰角礫岩)が堆積した埋積谷になっています。この埋積谷に沿って、その後成長した現浅間火山(前掛山火山)の山体からの地下水が流れてきて湧き出しているとのことです。

 湧出地点の白糸滝では、塚原岩屑なだれ堆積物の堆積表面の浅い凹みにできていた湖の湖成層が不透水層になり、その上に堆積している白糸軽石層火山灰層が流れてきた地下水の帯水層になって、湧き出しています。
 滝の湧水場所が限られている事や、周辺の谷と較べて白糸滝のある白糸沢(仮称)だけ、湧水量が飛び抜けて大きいのは、滝脇の掘り込み穴の壁で見られるような、地下構造の微妙な凹凸が関係していると思われます。
2.既存文献の記述 →泉の成因はあるが、滝の成因はない。     ページのはじめに戻る
 まず、既存の文献で、地学的な面についてどんな風に紹介されてるのか引用します。

 <滝の本>
 どの滝の本にも紹介されている滝ですので、代表として、北中康文(2004)『日本の滝1.東日本の滝』 より引用すると

------------------ 引用はじめ------------------------------------------------
白糸の滝 落差3m/幅70m〈潜流瀑〉
 ・・・・・ 落差は3メートルと小さいものの,数千条におよぶ清冽な水が弧を描きながら,まさに白糸を垂らしたように広大な滝壷へと落ちる姿は,ほかに類を見ない美しさだ。
 この滝は浅間山(2568m)の東麓に位置し,千曲川の支流・湯川の源流部にかかっている。透水層と不透水層の地層の間から,地下水が絶え間なく湧きだして滝が形成されたもので,季節を問わず湧水量は多い。ただ,10数年前には岩肌をおおうコケが青々としていたが,そのコケの緑が黒ずんできているのが気がかりだ。
◆地質/浅間火山の降下軽石層。軽石層直下の火山灰層が不透水層になっている/第四紀更新世
------------------------------------------------------------引用終わり。
 読まれた方はお気づきと思いますが、滝の人工部分については触れられていませんね。
 下の早川先生の記述によると、不透水層は、「軽石層直下の火山灰層」ではなくて、「湖成粘土層」ということになりますが、ブログの記述から見て「軽石が再堆積してできた湖成粘土層」ということになりますので、誤りではないでしょう。

 <地質の説明>

  地質の紹介は、いろいろありますが、今回 地質の情報を早川先生の説に統一しましたので・・・
早川由紀夫(1995) 浅間火山の地質見学案内 地学雑誌l04(4)561−571 より
----------------------------------------------------------------------------------------下線は筆者。
地点6 白糸の滝 白糸軽石
 峰ノ茶屋の東2.7km に白糸の滝がある。厚い白色軽石層とその下の湖成粘土層の境界から幾条もの水が流れ落ちている。この白色軽石が20kaに小浅間の位置から噴火した白糸軽石である。軽石塊の中には斑晶がわずかしか含まれていないが,浅間山にはまれなホルンブレンドがみつかる。ホルンブレンドは小浅間ドームの溶岩にも含まれている。また,白糸軽石の分布を調べて等層厚線をかくと,噴出源は中央火口には届かず,そこから4km東にはなれた小浅間ふきんで閉じる。
 白糸軽石の下に湖成粘土層があることからわかるように,小浅間山と鼻曲山を結ぶこの地域は,20ka以前から平坦だった。浅間山の東に広がるこの平坦地形は北方の草津白根山から眺めると印象的である。この平坦面の上には浅間山のテフラが整然と堆積していて,堆積物層序からこの火山の噴火史を編むことを可能にしている。
--------------------------------------------------------------------------------------------引用終わり
 同じ早川先生の、淺間火山北麓の電子地質図のHP
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/asamap/column.html 

 同じく、早川先生のブログから(画像は省略しました)
http://pringles.blog23.fc2.com/blog-entry-227.html 
-----------------(引用)---------------------------------------------------
風景に書き込まれた歴史を読み解く 白糸の滝の不思議な平坦面
* 2008/04/11(金) 07:26:26 |
*峰の茶屋から、白糸の滝を経て、旧軽井沢に下る有料道路は以前は未舗装区間が多かったが、いまは走りやすくなった。片道300円だ。
〔白糸の滝画像省略〕
白糸の滝。小浅間溶岩ドームが出現する直前にその火道から噴出した白糸軽石が5メートルほどの厚さで降り積もっている。
その基底から水が白糸を垂らしたように流れ落ちている。この地域には、2万4300年前に塚原土石なだれが堆積したあと、広い平坦面が形成されて、そこかしこに水面が生じた。本州の脊梁にあたる場所の地形としては異例である。
 浅間山から降り積もった軽石や火山灰は浅い水中で再堆積して、池の底にシルトや粘土層として堆積した。これが白糸の滝をつくる不透水層をつくっている。このシルト粘土層の間には板鼻褐色BP3軽石が挟まれている。
 2万0800年前に噴火した白糸軽石の上には、そのあと浅間山から何度も噴出した軽石や火山灰と、それの再堆積層(ロームとクロボク)が、20メートルほど積み重なっている。
〔画像省略〕IMGP2352s.jpg
滝と駐車場を結ぶ遊歩道の脇を小川が流れる。水流に洗われて、塚原土石なだれが運んだ火山角礫岩が川底に露出している。
〔画像省略〕IMGP2355s.jpg
駐車場の道路脇で、塚原土石なだれの堆積物の断面を観察することができる。赤く酸化した部分と還元状態の青い部分が、土石なだれの流下過程で複雑に入り混じった。
・・・・・後略
 ------------(引用終了)-----------------------------------------------------------------
以上、地質について説明されています。ただ、滝の紹介をするのが目的でありませんので、滝の地形・成因については触れられていません。
3.滝周辺の地学みどころ案内      ページのはじめに戻る 
どこにあるとか、どう行くなどの交通案内は、超有名観光地なので必要ないと思いますので省略。 道路地図に出てますし。
 
私が周辺を見て回った時の画像で、案内をします。
国土地理院2.5万地形図「浅間山」を基に作図



注1) 赤点が、画像のある地点。


注2) 沢の水量を比較しますので、沢に仮称をつけました。

白糸滝のある沢を、
白糸沢

その北の沢を
北沢

南の道路沿い沢を
南沢とします。

北沢の北の川が
湯川の本流です。
 余談 幻の河川争奪 
北沢は、読図すると、水源のさらに上流で、湯ノ川本流の蛇行により河川争奪されている様にも見えます。河川争奪されていると滝がありそうなので、期待して空中写真で見ましたが、争奪寸前で止まっていました。
 <どんな地層が見られるか>

 滝周辺の地質を概念的にまとめてみますと、右図のようになります。白糸沢に沿って沢の縦断面と尾根の断面を投影した図に地層を入れた図です。
 4種類の地層が見られます。
・・・・地質情報は早川先生の受け売り(参考文献参照)

 1.塚原岩屑なだれ堆積物
この地域の基盤。2.4万年前に、黒斑山火山の山体が大崩壊し東に流れ下ってきた岩屑なだれが溜まった地層。大体水平に堆積して、この辺で平坦面を作っています。

 2.湖成層
 塚原岩屑なだれ堆積物の上にできた湖の底に溜まった地層。
 水平で泥質。この地層の上面に粘土層があり、それが不透水層になって、白糸滝や南沢の湧水がおきています。

 3.白糸軽石層
 湖成層の上に載る。今から、2万年前に、この地点の西方で噴火があり、小淺間山が形成された際の噴火で、降下した厚さ5mの軽石層。 スカスカの地層で、白糸滝で湧く地下水の帯水層になっています。

 4.浅間前掛山火山期のテフラ
 白糸軽石層の上に、20m近いテフラ(火山降下堆積物の総称)があり、更に、5mほどの天明噴火のテフラがのります。 この厚いテフラは、前述した、ほぼ平坦な岩屑なだれ堆積物や湖成層の上に堆積していますので、30mも積もっても、頂上がほぼ平らな山を作っています。
 滝上の平らな稜線は、その平らな山の削られ残りにあたります。

 白糸沢・南沢・北沢の谷は、その山を削った谷です。 地層がほぼ水平ですので、南沢の湧水点と白糸滝湧水点高さは、離れていてもほぼ同じ高さになっています。
 <入り口から滝へ・主に地質>
 駐車場から滝の入り口 トイレの建物



 北沢(仮称)出会いの駐車場から上流側の滝の入り口方向。 5月なので樹林は早春。


 シーズンではないようでしたが、それなりに観光バスやマイカーの人々で賑わっていました。
 塚原岩屑なだれ堆積物の露頭







 場所は、トイレ反対の有料道路沿いの崖。地図参照。 地質断面図の赤丸にあたります。


 基盤といっても、浅間の黒斑火山が2.4万年前壊れたときに流れてきた地層ですから、ごく新しい。


 岩相は、火山角礫岩
・・・火山岩塊(64mm以上の火山岩片)が入っていて、火山岩塊の方が、基質の火山砂より多い岩石の名称・・・・

火山岩塊の方が少なくなると、凝灰角礫岩。露頭が小さいので、この露頭だけでは、どちらが適切なのかは判りません。
 東信森林管理署の治山事業宣伝看板



 遊歩道入り口に立っています。

 銘文:『この国有林一帯は、昭和57年8月(1982年)の台風10号、平成13年9月(2001年)台風15号によって山崩れや倒木などの大きな被害を受けました。白糸の滝も被害を受けましたが、「緊急治山事業」を行った結果、緑と清流が蘇ってきました。東信森林管理署では、現在も引き続き森林整備や治山事業を行っています。 景勝と森林浴を満喫してください。』
 
 「放置しておくと、災害写真の様になってしまうんですよ。既に2回も滝上の急斜面が崩れたんです。」という「私等役立ってます」情報が盛り込まれた看板です。

 災害写真が良いですね。迫力あり。
 入り口から滝へ。 白糸沢の流れ



 この豊富な水は、滝で湧く地下水。

 斜面下部は、岩屑なだれ堆積物で、沢の河床の大きな礫は、岩屑なだれで流されてきた岩が洗い出されたもの。


 入り口から滝へ。100mぐらい来たところ



 岩屑なだれで流されてきた巨岩が河床にあります。
岩屑なだれ堆積物の上に、水平な湖成層が載ってくる構造ですので、巨岩の上あたりは、湖成層らしいですが、境界は土がかぶっていて見えません。

 斜面に滝からの導水のパイプが見えますが、以前導水の穴もあったらしく、所々に穴の跡があります。今は使われていません。
  入り口から滝へ 滝手前50m。



 湖成層と導水溝・パイプ・滝と堰
谷壁が、清掃した泥質層の「湖成層」になります。河床の部分は、岩屑なだれ堆積物のようです。

 中央の水平な凹みは、人工の導水溝の跡。

 滝の堰(左端)の下から、導水溝が掘られていますが、現在は溝は利用されてなく、溝から水が川に落ちています。
 人工の滝ですね。
 下流の滝と導水溝・置き石



 湖成層に掘られた導水溝とそこに置かれた石。
 石は溝の川側の壁として置かれたものらしいです。

 石の間から水が落ちて人工の滝になっています。

 溝の先端は、穴になっていましたが、現在は潰れていて、導水溝としては機能していません。

代わりにパイプでしょうか? しかし口径が小さいですが?
 下の滝の全貌





 中央に横に水面が見える池を作っている堰(3m)の下が泥質の湖成層で、川筋に沿って二連の滝(3mと1m)があります。これは、自然の滝です。この4mの滝以下の河道は、本来の自然の地形らしいです。

 3m滝の右隣谷壁から落ちる滝は、導水溝から置き石にせかれて落ちる人工滝。

 写真で見ますと、地下水の湧く自然滝のように見えますが、人工滝でした。
 白糸滝



 おなじみの景色。水の湧く層から直下するように湖成層を人工崖で掘ってあります。


 手前の池は、滝壺と言うことになっていますが、浅い、堰による溜め池。深さ1mもないようです。

 貯水量がすごく少なく、まさに観光用に作られた池です。庭園の池と思えばいいかな。
 <滝の地形と地質・・・全景>

 複数の視点からの画像を合成した全景画像。彩雲は隙間隠しです。(^_^)

 見回すと、どこまでが自然でどこからが人工なのでしょうか。不思議な空間です。

 滝の湧水の崖だけが加工されたものとして見たのでは、何か谷の形が変で、それだけではなさそう。

 どこが変なのか考えるために、平面図を作ってみました。

 左の平面図は、堰近くの手すり〜広場の柱を、基線にして、距離計とコンパスの簡易測量で作った白糸滝の平面図です。上の画像と比較してください。

 まずは、ぱっと見、南側の湧水からの流れが、逆に北に流れていますね。(^_^;)

 切り取られた崖や平坦な地形など、人工の地形と考えられる部分を白抜きで示しました。青色の水の流れている所では、池と導水路部分は、勿論、人工です。

 かなり大がかりな改造が行われているような感じです。


 当初の自然の地形はどんなだったか、どのような人工地形を作ったのかの考察は、後述します。

 まずは、地形を観察。

 最初に、どんな地質でできていて、それがどのように掘り出されているのかを、確認してみます。

 白糸滝の地質を概念的にまとめてみますと、左図のようになります。
 毎度おなじみの4種類の地層が見られます。

 1.上の全景画像の右下、滝より下流の河床が、この地域の基盤、塚原岩屑なだれ堆積物。

 2.その上に、水平で、泥質な湖成層があり、その最上部に不透水層があって湧水しています。
 画像では左に見える下流の滝の部分から、湧水帯までの間。水平に堆積している。

 3.崖の湧水線より上が、白糸軽石(近くの小浅間山形成の際に噴出した軽石層)が5m積もっています。
全体画像では、中央の尾根の前面の崖に露出しています。

 4.その上に、20m近い浅間前掛火山期のテフラがあり、更に、5mほどの天明噴火のテフラがのります。


 この厚い火山噴出物は、ほぼ平坦な岩屑なだれ堆積物や湖成層の上に堆積したので、30mも積もってもその表面が平坦な山を作っています。その山に、谷が掘られた結果が現在の地形というわけです。
(左) 白糸軽石層と湖成層

(右) 湖成層より上の地層と稜線

 (左画像)
 湧水している部分から上、崖に出ている粗粒の軽石層が白糸軽石層。
 湧水帯より下が湖成層。

 最上部にある、白色〜橙色の粘土層が、水平で良く連続して、不透水層になっています。

 その下の地層は、泥質ですが、写真の下にあるように、地層中にかなり大きな火山礫も入っているようです。

 (右画像)
 厚さ5mの白糸軽石層の上には、粗粒なテフラ(降下火山噴出物の総称)がこの上ずっと積み重なっています。露出してないから見えませんが・・・。(^_^)

 稜線に見える平坦面まで、25mぐらいあります。つまり、たった2万年(20ka)間に25mも火山灰が積もったことになります。
 ちなみに、千葉県の下総台地では、1.5mです。
 というか、地形の出来方を整理すると・・・
1.過去の湖の上に厚い火山灰が積もって台地状の山になった。

2.その台地を、湯川本流、南沢、北沢が、60〜70mぐらい下刻して、基盤にまで掘り込む谷を作った。

3.現在の滝入り口の付近に、地下水の泉が谷壁にあり、そこが谷頭の泉になって、泉上の斜面を崩しながら、支流が発達し、白糸沢ができた。

4.白糸沢は、水平に200mほど進んできて、その谷頭の泉が、現在の白糸滝になっている。

 ・・・・・白糸沢と、その谷頭の白糸滝は、地史的には、ものすごく新しい地形ですね。
 <滝の様子>

 賑わう白糸滝


 2009年8月撮影

 
シーズン中は来訪客で押すな押すなの大盛況。
 
 滝の看板

滝前の広場にある。

銘文:
『●白糸の滝 湯川の水源にあるこの滝は、高さ3m、幅70mの岩肌より数百条の地下水が白糸の如くに落下し、実に美しい滝です。冬も枯れることなく湧き出しており、浅間山に降った雨が地下滲透し湧き出るまでに6年程度かかります。水温は11.8度と高めですが、これは火山活動に伴う地熱の影響によるものと考えられています。』
 
 軽井沢町で立てたものでしょうか。
 日・英・ハングル・中国語二種という、五種の言葉でかかれた国際観光地らしい看板。
 ところで、この滝は、文化財にはなっていません。
 ひっきりなしに観覧者がやってきて、入り口の売店の大繁盛です。軽井沢に来る方が必ず立ち寄る超有名観光名所のようですね。
 ところが、軽井沢町の文化財リストを見てみますと、湯川の歐穴地形などが指定されていますが、この滝は文化財にはなっていません。
 これだけの観光地になっていますのに、珍しいと思います。 まあ、地形としてみれば人工滝なので、文化財的に見れば、指定しないというのは当然と言うべきでしょうね。
 <滝の地形を細かく見る>
 削り込まれた崖線

 水平に水が湧いている理由は、湖成層の最上部に水平で良く連続する白色の粘土層(厚さ30cmぐらい)があり、そこが不透水層になっているため。
 この画像は、滝面に接近して見たもの。

 湖成層を湧水部分まで掘り込んで、垂直の崖にし、湧水が直下するように改造しています。
 画像の中央やや左にある、角張った出っ張りに注目。垂直の角柱状に掘り残されている様子が良く分かります。

 平面図に出っ張りの形が示してあります。平面図をさらに見ると、画像左手の湧水層上の急斜面も、人工的に切り取られ跡と分かります。・・・・・ということは、切り取られた部分に尾根があって、画像の白糸の滝と書かれた柱の方に尾根が続いていたことになる。

 つまり、連続した半円形の崖線になるように尾根も削り取ったということでしょうか。

 滝下の滝壺風の池は浅く、堰による溜め池です。
画面奥の以前谷筋だったところも、湖面近くに湖成層が露出して平坦ですので、人工崖を掘り込んでいった際の人工平坦面と思われます。滝壺などは元々無かったと言える。
崖線造成後の崩壊

 尾根の南東側。湧水層以下の垂直崖の破損。
垂直の崖は、常時濡れていることで、風化や崩壊が止まって安定を保っているので、地下水が減り、乾燥すると、たちまち崖の崩壊が発生すると思われます。
 ここでは、垂直に造成して苔も生えて安定していた崖面が、乾燥によって、粘土層の下の砂礫層が崩壊して穴が開いています。
地下水の出が悪くなったのでしょう。

表面のはがれ具合から見ますと、最近のようです・・・と思ったら、
さにあらず。
 なんと、1991年の・・・20年も前です・・・の貴重な動画を公開された方がいて
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=JT0kt_DsXmQ
 それを拝見すると、すでに穴があります。(>_<)

20年間、この壊れて間もないみたいな穴が保存されてきたわけで、実は訳分かりません。

 また、湧水層上の軽石層の露出した崖は、1991年の状態で、造成された切り取り崖だったようですが、20年かけて画像のように植生が侵入したことになります。すごく遅い。

 あと、下の画像で、大きな倒木がありますが、1991年の動画から、すぐ上の湧水層の直上にあった大木が、1991年の直前に倒れたものだと分かります。 こんな大木があったということは、こちらの谷は崩壊が長時間なかったことを示しています。
 ともあれ、片付ければいいのに、20年間ほったらかしだったのね。 そんなことも分かって、愉快ですね。(^_^;) 
 崖に連続する人工穴

 崖線の南西端部分です。平面図の南側の浅い谷の下の湧水部の所。 崖に連続するように穴(画面の左)が開いています。

 崖を造成した時、更に水を求めて掘った穴だと思います。ここで、湧水が無くなったので、掘るのを止めたのでしょう。

 というのは、穴の中で見ますと、穴の壁に小さな断層(構造断層でなくて、地形性重力断層)があって、北側(画面の手前側)が落ち込み、その結果、谷側の不透水層の粘土層が落ちこんでいます。

 尾根の内部にも、粘土層は当然、少し高くなってつながっているのですが、そちらからは湧水していません。概念化すると、下の断面図のようになっている。

 透水層からの水位が大きければ、こんな底面の微少な凹凸には関係なく湧くのでしょうが、帯水層の水位が低く、20-30cmもないので、こんな微妙な凹凸に支配されて、湧出する場所が限定されるのではと思います。

 その目で見ると、白糸滝の湧水層は、水平に広く広がっているというわけではないようです。
 崖線の北側端にも、滝を造成した時に掘ったらしい穴があり、そこで湧水が途切れているようです。
 切り込まれた崖とそのままの斜面

 崖線の北東の端です。

 中央から右側は、掘ってみたけど、湧水しないので掘るのをやめたように見えます。
 ここにも、南西の端のように地形性重力断層があるのではと思われます。

 ということから考えると、

 谷の谷頭によく見られる、地形性の重力断層による、半円形の落ち込み構造が、白糸滝の谷頭にもあって、その結果、白色粘土層が凹みをつくり、地下水が集中する構造になっているのではと推測されます。
 <滝上の斜面>
西の浅い谷と崩壊跡        

平面図の尾根北側の谷です。

急斜面が浅い谷になっている。
入口の看板に、2001年の災害時の写真があります。

 火山灰からなる斜面は、上部が浅くはがれているようで、水の噴き出した穴の跡みたいな穴が写っています。

 普段はスカスカなのでしょうが、大雨時には、地下水位が上がって、湧水帯の上の斜面が水が噴き出して崩落するみたいですね。

  谷の底が表層崩壊し、滝下の池に流れ落ちて溜まり、扇状地状になって池を埋めています。

 災害復旧工事で、池に堆積した土砂をさらい、斜面も止めてあります。復旧しなければ、すぐに、人工の崖は埋積されて崖錐に覆われてしまうでしょう。

 それから造成工事前の形を推測してみると、現在のような急斜面の下部に、崩落してきた砂礫の溜まる崖錐斜面があり、その末端から泉が湧いてたと考えられます。

2001年被災状況
看板の写真を複写


現状 (2010年
 南西の浅い谷と崩壊跡

 平面図の尾根の南側の谷です。

こちらも、尾根の北の谷と同じような、急斜面と浅い谷になっています。
 ただ、こちらは、樹林になっていることから分かるように、崩壊していないようで、崩壊予備軍の表層物質が斜面に乗っかっているように見えます。

 滝の下は平坦な広場になっていますが、造成工事前は、こちらも北の谷と同じような崖錐の谷間になっていて、北の谷との間には尾根があったと思われます

 以上の、谷頭を作る急斜面には、穴の壁で見られるような地形性の重力断層が、半円形に谷頭斜面に沿って存在すると思われるので、滝上の浅い谷や崩壊の発生は、この地形性重力断層面に沿って発生していると思います。
 <稜線の天明テフラと平成13年崩壊>
崩壊上部の様子を見たかったので、上の稜線に通っている自然観察歩道に上ってみました。
 この斜面稜線は、前述の通り、浅間火山のテフラでできています。火山灰でできた山というのは、火山から遠く、火山灰の薄い千葉県では、ありえない地形です。
 尾根の稜線部分は、天明の大噴火で降下した5mもの厚さの天明降下テフラで覆われています。
 稜線は薄い黒土の下に、天明の降下軽石がガラガラしています。
 西の谷の上の崩壊跡地

 上から見ると、すごい急傾斜の崩壊で、下に滝が小さく見えます。
 平成13年に発生した崩壊て、上部は広く浅くえぐれていて、地盤がむき出しになったのでしょう。復旧工事で、全面コンクリで被覆されていました。
 崩れた凹部分の厚さは、最大でも2m程度で、斜面とほぼ平行な縦断面形をしています。

 ちょっと感じたこと
 1. 周りの稜線の斜面は、緩やかで、崩壊の発生する急斜面は、この谷頭に限られているように見えます。
 スカスカの水が浸みてしまう山なため、大雨でも崩壊が起きにくく、急斜面にならないのが一般だが、例外的に、常時地下水が湧出している泉の上部斜面では、大雨時になると地下水位が高くなって崩壊が発生し急傾斜になるのかもしれない。
 泉・崩壊地・急斜面の間に深い関係があるかもしれない。

 2. この表層崩壊の発生は、滝を作るための崖の掘り込みによって、崩壊土層の末端が不安定化して発生したのでは、自然のランダムな働きではなく、人工による必然かもしれないなあ(^_^;)・・・とも思いました。

 2点とも、ただの感想・思いつきですけど。


矢印:白糸の滝
 <泉の湧水量と谷の大きさ>

 地形図を眺めると、北沢・白糸沢・南沢の流域は図のようになっています。

 白糸滝にどっさり湧水があるので、北沢や南沢にも豊富な湧水があり、立派な泉があるのでは、と思って見に行きました。


国土地理院2.5万地形図「浅間山」より作図
 南沢(仮称)の水源と水量

 南沢の流域上部・中部は水のない涸れ谷で、川の水源は、流域下部の、白糸滝駐車場はずれにありました(流域図参照)。

 右と中央の画像が、南沢の水源の画像です。小さな崩壊の下に小さな崖錐があり、崖錐礫の隙間から泉になって湧水していました。

 このささやかな泉から、小さな川になり、途中で支流の泉が合流します。 

しかし、右の画像のように、白糸沢の合流点で見て、水量の比率は南沢1に対して、白糸沢4という所です。一言で言えば、ちょぼちょぼ。

南沢の水源

南沢の水源からの流れ

南沢と白糸沢の合流点
左の管・南沢、右の管・白糸沢の水
 北沢(仮称)の渓相と水量

 北沢は、南沢同様、流域上部は涸れ谷なのが、ハイランドウエイから観察できます。
 
水源は、南沢と同じく流域の下部にあり、白糸滝とほぼ同じ高さの所に水源がありそう(流域図参照)。

 右画像は、北沢の合流点からみたもの。

 北沢は流域が最も大きいのですが、水量は、南沢と同じぐらいか、さらに少ない感じです。

 川岸に巨大な礫が転がっていましたが、基盤をなす、岩屑なだれ堆積物中の巨礫が洗い出されたものと思います。
 土石流で出てきたものとは思えません・・・・両岸の植生の様子からも、洪水のある川には見えない。

北沢と、南沢+白糸沢の合流点
矢印が北沢の水

 北沢合流の様子。白糸沢+南沢の水に比べて、ちょぼちょぼです。
 3つの谷を見比べて、考察

 1. 3つの谷の水源の水量と地表の谷を比べると、全く関係がない。

泉の大小は、地下の地質構造によって決まっているらしい。・・・・・白糸滝湧出量は、北沢・南沢水源の4〜5倍以上あり、地下で湧水の集中が起こる地下構造なのでしょう。地表の谷の流域面積の大小と湧水量とは無関係。
 
 2. 南沢・北沢の谷地形をみると、泉から下流の谷地形と、泉から上流の谷地形とが、違う成因ではないかと考えられます。 

泉から下流では、地質が湖成層や岩屑なだれ堆積物で、常時水流があり、白糸沢のように、現在谷が成長している例も見られます。
 対して、
泉から上流では、スカスカの粗粒火山灰の地質なので、地表に降った雨水はほとんど滲透してしまい、涸れ谷になり、現在は地形として化石化しているように思います。
 
 3. では、「泉から上流の谷地形は、いつ形成されたのか?」ということになりますが・・・。

活動的な火山直近で、噴火降下物大量堆積地域という特性から考えると、噴火活動によって、大量の降下火山灰が積もり、裸地化したことによると考えたらどうかと思います。

裸地化した際に、降雨により急速に形成された谷で、その後、噴火がおさまり、裸地が植生に覆われて谷の形成が止まり、化石化している状態ではないかと想像します。
 4.改造前地形の復元     ページのはじめに戻る
 一番不思議だった、白糸滝の改造前の姿を考えてみます。
 平面図で、人工と思われる所を取り去り、そこに、造作前の水源の位置と高さを想定して、水源からの河道とそれに続く斜面を考えるということになります。
 改造のイメージを画像と鳥瞰図にしてみました。

 平面図中央の尾根が、稜線傾斜から見て現在の堰堤西脇付近に届くと考えられ、それぞれの谷頭に泉のある2つの谷があり、堰堤のすぐ下流付近で合流して、3m+1mの滝になっていたと考えました。
 堰堤の下流の河道が2つに分かれ、そのまま段差なく伸びて、泉となり、湧き出し口の上流に崖錐があって、現在の白糸滝の上端にスムースにつながると考えます。

改造前の姿を、復元した鳥瞰図と、比較のための現状の鳥瞰図
稜線部分はデフォルメしていますので、谷頭の形の変化を見てください。
 図から読み取れる、具体的な造作工事を書き出してみます。

 1.遊歩道の作成
    斜面切り土による。 

 2.滝面の掘り下げ
2つの谷の谷底で、不透水層露出部から掘り下げて、垂直な滝面を作成し、下流側の湖成層を撤去。

 3.尾根の切断
尾根を切り取って、南北の崖線を連続させる。

 4.崖線の延長
崖線の北端、南端を延長方向を掘り込んで、湧水のあるところ全部を掘り出す。

 5.堰と見物広場の造成
 堰を作って、水位を上げ、滝壺風の池を作成。・・・水の利用と、崩れ土を溜めるための治水の目的もある。
 広場を作成に当たり、南側の谷出口を埋め、南側の湧水は北の池に流れるようにする。

 6.堰の下流で分流する導水路を造成
導水路に置き石をして、余水吐として人工の滝にする。

 7.導水トンネルを掘る
下流へ導水トンネルを掘る・・・これは現在使われていない。トンネルが潰れたせいか。
 5.滝の改造時期      ページのはじめに戻る
2010年9月にアップした私の改造時期推定は、調査不足でした。江川良武氏のご教示により、誤りと分かりましたので以下のように修正いたします。 江川良武氏には深く感謝いたします。2010/11/30記す。

 <上述した滝の改造はいつ行われたのでしょうか>
 軽井沢町図書館で、郷土資料を斜め読みして、白糸滝が出てくる年代を探してみました。
 一般には、「白糸滝」という名前は、江戸時代に泉が改造され、明治時代に当時はやった佳名として名付けられたもの・・・・というのが良くあるパターンなのですが、そうではないようです。白糸滝は、軽井沢の地誌・案内書、文学書、避暑体験記などに、明治・大正時代には全く登場しません。
 私は、見つけた最古の記録が、昭和28年だったので、昭和、それも戦後まもなくではないかという線で、2010年9月に発表しました。

 しかし、それは誤りで、拙ページをご覧になった、地元の江川良武氏が、独自に調査され、地図・文書を当たられて、より古くから記載があることを指摘してくださいました。
 それによると、
 1.白糸の滝の注記は、昭和12年の5万分の一地形図に注記されている。
 2.昭和9年に白糸の滝の記載がある。 稲垣虎次郎著「大軽井沢の誇り草津温泉の譽れ」という本(自家出版? 稲垣虎次郎は軽井沢郵便局第3代局長)に、
「長日向駅より約3キロ、湯川の支流の源泉に遡る。約6、70mに亘り高3mの岸壁は湾曲して半円形をなし、頂上は平準にして土砂を蔽い、その間より湧出する水は延長せる全岸壁上より平等の水量を放射して無数の細瀑となり、珍奇秀逸の美観を顕し、尋常の瀑布とは趣を異にし、乾麺工場を想起せしむ。四圍の丘上には樹木を密生し、涼味満溢して探勝の佳境である」 とのことです。
 3.大正1年の5万地形図や、大正15年初版(昭和4年3版)の中信新聞社発行、泉 寅雄著「軽井沢と付近の名所」には、白糸滝の記述がない。
 とのことです。ご教示頂いて誠にありがとうございました。
 
 さて、そうすると、時期は昭和初期のようですね。
 というのは、明治時代には、軽井沢が避暑地として発展し、観光案内が出ていますが、湯川下流の竜返しの滝は名勝として観光対象になっていますが、白糸滝は全くありません。当時は道もなかったので無理もないかも。
 大正〜昭和の戦争前の時代には、草津軽便鉄道が1915年(大正4年) 新軽井沢 - 小瀬(のちの小瀬温泉)間に開業し、更に草津へと延長されて、湯川沿いには、小瀬温泉駅の先に、1923年(大正12年)に長日向駅ができて、観光化が進んでいます。
 その頃に、白糸滝が知られていれば、観光案内、名勝として必ず書かれるはずですが、大正の地図にも、観光案内にも全く出てきません。
 例えば、大正12年刊行 奥川夢郎著「軽井澤を中心として」北信毎日新聞社 の軽井澤附近の名勝舊蹟 には、湯川流域では、小瀬温泉、龍返しの滝のみが紹介されています。
 水利用は行われていないにせよ、泉の存在自体は地元で知られていたと思いますが、大正年間には観光資源として全く注目されていなかったと言えそうです。
 
 <滝前の池については、別の問題があります>
 「白糸滝」の写真がある最初は、私の発見したのでは、昭和28年(1953)泉 喜太郎編集兼発行「軽井澤町誌」軽井澤町誌編纂會 に紹介文と写真がでたのが最初のようです。
 昭和28年(1953)泉 喜太郎編集兼発行「軽井澤町誌」軽井澤町誌編纂會 p117より
-----------------引用----------------------------
 白絲の瀧
 長日向駅(小瀬の次の駅)より林業村を横切って林道を川に沿うて行く事約二十五丁ばかりにして達する。滝は稍々L字形になっていて、この幅約四十間、高さ二間余り、幾百條の絲を垂れたようで岩一面の上から湧出し、落下して滝となる。飛沫は雨のようで、水声は潼々と、四周為に震動する。附近一帯は老木鬱蒼として蔽い、樹下には苔が青毛氈を敷きつめたるように密生して風致亦幽邃である。一日の清遊には絶好の地で避暑客は勿論春の新緑、秋の紅葉に来訪する客また多い。
-----------------引用終わり------------、p128には、滝面間近で撮った写真が掲載されていますが、池は写っていません。

 昭和9年、28年の記載を読みますと、池については、現在の姿とは違っているようです。
 滝の掘り込み崖は、高さ2間、長さは40間(72m)で、今と同じ規模だったようですが、池はまだ作られていなかったようです。文中と写真には池があったとは読み取れません。
 また、当時は、道路は林道で、白糸ハイランドウエイではなく、バスもなかったと読めます。
 
 この林道については、その後、草軽電気鉄道(草津軽便鉄道の後の社名)の廃止により、代替えのバス路線が走るようになり、それが有料道路化されて、白糸ハイランドウエイになったということです。
 1963年(昭和38年)の、「上信越高原国立公園 軽井沢 その周辺」 三笠書房発行 という案内書には、現在のように前面の池をもった白糸滝写真があります。それまでに池の造成工事が行われていたことになります。
 余談ですが、この案内所載写真の崖面は、現在より突出していて、その後の1982年と2001年災害の2回の災害復旧工事に当たって、崖が掘り込まれたことが分かります。

 <造成の目的>
 造成年代は江川氏のご調査により、かなり絞られてきたと思うのですが、実は、造成目的については、「観光用ではないかなあ、滝を作っても水を利用してないからなあ・・・」という推測に留まっています。つまり、文書資料ではまだよく分からない段階です。


 以上、白糸の滝の、文書資料からの調査は、まだ奥が深そうです。 御存じの方、御教示いただければ幸いです。
緊急報告<2010.12.10追加> 少々分かったことがありましたので、追加いたします。

 今までの文書あさり、観光の文書ばかり探していて、不手際でした。地学・地理系のものを探してませんでした。
 ちょっと探したら、たくさん出てきて、汗顔の至りです。
(1) 地元研究者の八木氏の良書、昭和4年発行 八木貞助 「淺間山」 信濃郷土叢書11編 には、淺間山の地誌・地質が詳しく述べられていて、湯川の水源についての章もあるのですが、知られていれば書き落とすはずのない白糸の滝の記述はありません。
   一方、同じ著者の昭和11年の著書「浅間火山」付図には、白糸滝の記載があります。
(2) 火山学者津屋先生の論文、昭和9年 津屋弘達 浅間火山の地質(1) 地理学 第2巻8号p 1-27 には、「林用軌道の先に・・・」とあって、白糸滝の地質について、詳しい調査結果が述べられています。白糸の滝・龍返し滝は、浅間火山の前史を示す貴少な露頭という位置づけです。
(3) 昭和9年発行の 吉田初三郎作 軽井澤鳥瞰図 にも白糸滝の注記があります。
 ・・・・昭和4年〜9年の間に、白糸滝の存在が、一般化したということになります。

(4) 大正5年の5万地形図で、湯川本流沿いに沓掛駅から小瀬まで設置されていた手押し林用軌道(トロッコが通る)が、昭和4年修正図では、湯川本流の白糸滝近くまで伸び、昭和12年修正図では、白糸滝と滝を通る歩道の記入がなされています。
この林用軌道は、営林署の設置したもので、明治末年から設置が始まり、昭和17-18年ごろまであったとのことです。その跡は、林道となって
小瀬以下では長倉林道、それから上は、今の有料道路になっています。・・・白糸滝より上の有料道路の、前身になる道は、峰の茶屋方面から伸びてきた別の経緯の道らしい。
 
ということは、白糸の滝が世に知られるようになったのは、営林署による林用手押し軌道が、昭和4年以前の時期に、滝の近くまで延伸されたことをきっかけにしているようです。 林用軌道が観光の人間輸送に使われたことはなさそうですが、軌道敷きをを観光目的の歩行者が歩くのは当然あり得て、観光ルートとしても利用されたのではと思います。
 以上、昭和4年にはまだ知られていなかったが、昭和9年には、すでに広く知られた名勝になっていたといえます。 
 6.定例データ 滝の諸元      ページのはじめに戻る
滝の名称 白糸の滝
所在地  軽井沢町長倉(小瀬)
水系   千曲川水系 湯川
渓流名  湯川支流(不明)
地図  2.5万 浅間山
緯度経度(世界測地系)  北緯36度24分37.4秒 東経138度35分32.5秒
流域面積 0.01平方ku(100m四方です。!)(^o^)・・・滝の水は全部地下水。
滝高 2m(目測)。一般に高さが3mとされているが、崖高さが3m位で、湧水面の高さは2mほど。
地層 白糸の滝は、白糸軽石層(As-SP)直下の湖成層・・・層厚30cmの白色粘土層で水平層。
    下流の滝は、湖成層の泥質層。
岩質・構造 厚さ5m、最大径20mm程度の軽石礫を多量に交える降下火山噴出物(白糸軽石層・浅間火山小浅間山期)
   が帯水層となり、その下位にある湖成層の最上部が30cmぐらいの白色粘土層で、不透水層となって湧水が
   滝になって落下している。
   湧水層の高さは、3mぐらいの崖で、堰池水面から2mぐらいの所。
   堰の下流では、水平な成層した細粒の褐色粘土・シルト層が河床に露出して急なナメ滝(高さ約4m)をなしている。
   堰下流で水流の2/3ぐらいが導水溝により導水され、人工滝化されている。
成因 地下水型の滝(人工切り取り)
変遷 50-100年の期間で見れば、滝上部の急斜面の崩壊により、滝が埋没消滅する環境にある。
滝面 完全な人工滝面であり、記載用語は当てはまりません。滝面は垂直。常時濡れていて、水量も一定しており、
   乾くことがないので、滝面の侵食は小。
   滝下の池は、堆積土が定期的に撤去されていると思われる。そのため、どの程度崖が後退しているのかは不明。
   平常時の後退量は多くはないと思われ、災害時に埋積され、その災害復旧時に改変される以外はあまり変化して
   いないように思える。
   1982年、2001年に台風による被害があった。
年代 造成は、1920年代後半〜1930年ごろと思われるので、造成後90年は経過している。しかし、その間、2回災害を受け、復旧工事がされて   いる。
   最新の災害復旧から9年しか経っていないことになり、経過時間に意味は無い。
 7.参考文献                    ページのはじめに戻る
八木貞助(1929) 「淺間山」 信濃郷土叢書11編 102p
津屋弘達(1934) 浅間火山の地質(1), 地理学 第2巻8号 p1-27 
稲垣虎次郎(1934)「大軽井沢の誇り 草津温泉の譽れ」(自家出版)
泉 喜太郎編集兼発行(1953)「軽井澤町誌」 軽井澤町誌編纂會
北中康文(2004)『日本の滝1.東日本の滝』
早川由紀夫(1995) 浅間火山の地質見学案内 地学雑誌l04 (4) 561−571
早川由紀夫(2010) 浅間山の風景に書き込まれた歴史を読み解く 群馬大学教育学部紀要 自然科学編 第58巻65-81頁
早川由紀夫先生の、淺間火山北麓の電子地質図のHP http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/asamap/column.html
早川由紀夫先生のブログ   http://pringles.blog23.fc2.com/blog-entry-227.html 
草軽鉄道公式資料室  http://www.kkkg.co.jp/kusakaru3.html 
鈴木秀和ほか(2009) 浅間山東麓白糸の滝周辺における湧水・河川水の水質および同位体組 成 Japan Geosience Meeting 2009 
 AHW015-P11 https://secure.jtbcom.co.jp/jpgu_program/program/PDF/A-HW015/AHW015-P11.pdf 
鈴木秀和・田瀬則雄(2005) 複成火山の山体構造に規定された地下水流動 地球惑星科学関 連学会2005年合同大会予稿集 Ab-007
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2001cd-rom/pdf/ab/ab-007.pdf 
小坂 真貴子ほか(2005) 浅間山山麓地下水の水質特性とその形成要因 地球惑星科学関 連学会2005年合同大会予稿集
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2005cd-rom/pdf/h020/h020p-020.pdf 
調査記録
調査・撮影  2009/08/24 2010/05/13  記録作成  2010/09/01
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