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滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録     
  福島市飯野町飯野 藤加羅神社の立石  2013年6月訪 
左が神社の本殿。神社の奥に巨石が神体石となっている。
石の頂上は、風化球面で不定形。
石の形は、縦方向の節理面で割れている。 
 谷底低地の中央にあるという特異な立地をしている石。
当然根石である。
 岩の形は、節理割れ目に沿って割れており、破断割れ目がほとんどないのも特徴。
 宮城県沖地震により、節理に沿って割れて立っていた岩塊が将棋倒しになったらしい。

<発端>
 
花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っている。
6月に、巨石の位置情報がパンフで紹介されている福島市飯野町(旧飯野町)を歩いた。

 飯野町発行のパンフレット「飯野町巨石探訪」に、先年の宮城県沖地震により巨石の一部が倒れたとの記載があるので、訪ねた。
 名称: 藤加羅立ち石
 所在地:福島市飯野町飯野字中井戸 藤加羅(ふじから)神社。藤加羅神社の神体石である。
 後で知ったが、この石は、飯野町史の地質の項の地質図に、根石のコアストーンとして記載されていた。
 地質は、粗粒花崗閃緑岩(角閃石・黒雲母花崗閃緑岩):飯野町史による

「飯野町巨石探訪」 飯野町刊 の記載
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藤加羅立ち石

 藤加羅神社は飯野中学校の裏、県道をはさんで北側にあります。
杉の古木の中に鎮座し、社殿は東の方角に向けて建てられていますが、これは、この地に弁天様が立ち寄った際に腰を掛けて休んだ所と言われ、そのため弁天様(隠津島神社・東和町)の見える方角に向けて神社を建てたと言われます。
お祭りは現在大宮神社(飯野地区)の祭礼(10月下旬)に合わせて行っています。
 藤加羅神社の本尊は「蛇」と言われており、蛇は繭を鼠の被害から守ってくれると言うことから、藤加羅神社のお札を受けに、立子山(福島市)や秋山(川俣町)などから養蚕農家の人々が多く参拝に訪れたそうです。
 藤加羅神社の境内、神殿の裏側には、巨大マグロのとろを刺身に切ったような形の巨石があります。見るからに刺身包丁で切り始めたと言った雰囲気があります。以前、宮城沖地震で倒れたそのままの姿で現在に至っています。
 藤加羅神社
 ・所在地:飯野町大字飯野字中井戸
 ・寸 法:最大地上高4 m50cm
     最大露出幅5 m40cm
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<到達ルート> 

位置は地図に示す神社の境内。
車で、神社の裏に簡単にいける。
2.5万,5万地形図は川俣。
地図では、地名は「藤柄」
地図の対岸の工場は、現在、避難してきた福島県飯舘村の中学校となっている。
 近傍のバス停名も「藤柄」












 <立地> 
 谷底平野の中に島状にある。特異な地形である。
谷津田の合流部の中央に島状にある。埋積平野なら埋め残された山の頂上が島状に残る地形は一般に見られるが、侵食平野では、普通、侵食されて残らないものなので、あまりない形であり、特別な理由のある形である。

東側から見る。谷底平野の中で島状。

北側から見る。同じく島状。
車はベリーサ。意外と燃費が良い。女性向きと言うが、静かで疲れないので年寄り向き。実際、熟年というか老年の爺様が乗ってることが多い。
自然の状態では、島になっていたのか?、それとも岬になっていたのか?
現在は、周辺の地形人工改変が進んで、一見では分からなくなっている。
 
<当初地形の復元>
改変前の地図を探して、昭和60年(1985年)の飯野町1万分の1地形図(下図)を見ました。水田(谷底低地)を彩色。それを元に、当初の地形を推定してみました。
右図が概念平面図と断面図。
当時は、神社東側が岬状に続いていて、その先端に巨石が立っていたのであろう。岬はその基部がのちに掘り込まれて水田化され、残りが堤状に残されて参道となり、神社境内が巨石とともに島状に残されたものと思う。
 巨石のところで谷幅が狭くなり、谷幅異常となっていたわけだが、阿武隈山地の侵食力のない谷では、かなりありふれた現象のようである。
 浅い谷の中央にポツンと立つ巨石は、目立つランドマークで、伝承で弁天様(元々は、ダイダラ坊のような巨人ではと思う)が腰掛けた石というのもうなずける。


<根石かどうか>
 この巨石は、根のないコアストーンか、根石の未風化基盤の峰であるかは、巨石といってもあまり大きな石ではないので、どちらもあり得ると思う。
 しかし、島の各所に岩塊が散在していて、巨岩の表面も風化球面があまり見られず、頂上も不定形をしているので、根石の基盤の峰の可能性が強い。



<巨岩の地形> 
 岩塊位置図に示すように、神社裏の神体石に当たる岩より、分離した岩塊が3片見られ、いずれも、節理面で分離した直方体の形である。

巨岩の岩質は、粗粒花崗閃緑岩。露岩は未風化で、がっちりしていた



本体の北側岩塊。本体の半分が分離・転倒した岩塊

本体の南側分離岩塊と本体上部の分離岩片。
 2つの直方体の岩塊が分離転落しており、手前側の岩塊上に、本体上部の節理に沿って平行に板状に割れた岩片が倒れかかっている。
 この2枚の岩片が宮城県沖地震で倒れて将棋倒しになったらしい。
   <歴史資料>

(以上)

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