070625 アップ開始。 070819 完成 090203 胎内石・神楽石・軍配石など追加、その他データ修正。 090217 文面・内容一部追加。 090316 案内志願追加

平成19年度 県外岩石観察会 ー茨城県北部の太刀割石ー 2007年5月19日(土)  HPtopへ 竪破山記録目次へ
   滝おやじの竪破山地形・巨石観察記録
 その後、081219に、070519に行かなかった神楽石・軍配石・胎内石を訪れたので、
その観察記録も追加しました。
竪破山の七奇石は全部紹介することになりました。
20120609 太刀割石の項 3.11大地震による移動につき、前田善次氏作成HP「東北大震災」にリンク
 <竪破山の七奇石>
案内看板によると、太刀割石、神楽石、甲石(堅破和光石)、舟石、胎内石、畳石(腰掛け畳石)、烏帽子石を、竪破山の七奇石と呼ぶそうです。

 関連資料・・・目次
  2007年に行われた高橋氏・橋本氏案内の千葉県立中央博物館地質観察会の資料です。 以下に示す私の観察記には省略した、竪破山の地質について、詳しく紹介されておりますので、高橋・橋本氏の了解を得て、観察会の資料を掲載いたします。内容的に重複するところはありません。
   県外岩石観察会 「茨城県北部の太刀割石」・・多賀山地の竪破山 現地説明資料
 現地説明資料は高橋・橋本氏作  2007年5月19日 主催 千葉県立中央博物館(友の会連携事業)、 講師 博物館の高橋直樹さん、協力 友の会の萩原 孝・橋本 昇さん
    記録アルバム 石井良三氏作
    羽切氏作、観察記録(植生のことが多い)  掲載後に、参加者・友の会会員の羽切俊勝氏より頂いたので、追加。
 はじめに
 観察会に参加して、
1.ルート沿いに歩いて気付いた事を、時系列順に記録
2.個々の情報を、観察会から帰ったのち、再度、地形図読図・空中写真判読・関連文献を収集。
  「竪破山周辺の地形」という枠組みを作成。
3.そこに、ルート沿いの観察を位置づけ
 ・・・・・てみました。
残丘(竪破山)の山頂にある花崗岩のトア
実は、残丘や花崗岩トアなどの地形は初めて見ました。

余談ですが、このトアは、黒前神社社殿が碑の向こうに見え、
ご神体の位置にある。
江戸期に水戸藩の干渉で変質させられてしまう前の本来の信仰では、
この石が御神体だったのではと思います。
 内容は、地質的な見方からできている、高橋・橋本氏作成の資料とは一部を除いて、重複していません。解釈が異なっているところもありますね。
 地質屋さんと地形屋さんは、見方が違うなあと実感。(^◇^)  当然、併せて読んで頂ければと思っております。

 <補足:なんで、まわりくどいか。>
 話としては、「竪破山の地形」はこう。⇒「ルート沿いにみられる微地形や巨石の説明」
・・・・という形のほうが、原因⇒結果、あるいは、地形のレベル大⇒地形のレベル小 の記述になって、教科書風で分かりやすいとも思うのです。
 だけど、それでは、私が面白いなあと思ったことが書き難いと思いまして、レポート風に、観察⇒考察⇒結論の形にしてみました。

 実は、もうひとつ理由があります。
 1日通り過ぎただけの体験から、「竪破山周辺の地形」について、分かったような結論に達しちゃうのは、かなり危険ですよね。
もう、1日歩くと、ニュアンスが代わり、さらにもう1日歩くと、付け加わりが増え、何回も歩くたびに変わっていく筈です。卒論で現地30日というぐらいですから、1日では、どんな思い違いがあるやら。
 つまり、この観察記録の結論の信頼性がたいしたことないというわけで、「真理⇒その現地展開」 という形に書きにくい、または、書けないわけです。
  では、何で書くんだ・・・ということですが、その地域で面白いことって、一目・一日で見えることも結構多いんですよね。
 そして、面白いことってのは、自分にとって、自然がこう筋が通って見える、あるいは、筋が通らないのでわけがわからんことがあるということで、それって、他人にとっても面白いんじゃなかろうかという妄想の故だと思います。
 まあ、そんなわけで、僭越ながら、書かして頂きます。 間違いの指摘、別のご意見等、お寄せくだされば幸いです。
 1. ルート沿いの地形と巨石の観察
 1-1  位置の修正 
 
 行く前のチェックで分かったのですが、どこに何があるか、正確な地図がありませんでした。
 竪破山の登山ガイドブックの石の位置は、全然違います。
また、2.5万地図の登山道の位置が、いろいろ違っていて、駐車場までの道も新しい道路になっています。

 というわけで、どこに何があるか地図を作りました。

 当日、参考にした2.5万地形図の登山道位置が、現在の登山道位置と違っていて、場所がどこか知るのに大汗かいたので、推定で巨石の位置を記入し、空中写真の判読 + 地すべり分布図の地形判読も加えて、巨石の位置と崩落地形の位置図を作りました。
・・・・防災科学技術研究所(2004)地すべり地形分布図 第18集「白河・水戸」の竪破山図幅を参照しました。


<右図説明> 竪破山の崩落地形と巨石の分布
赤点:巨石 黒前神社裏の竪破山山頂にある巨石名は不明      
緑線:崩落崖 
淡黄塗り:崩落堆(崖から崩落した山体ブロック)とそれを覆う崖錐
淡青塗り:土石流となって流下堆積した堆積物
・・・不動石より上流部分が土石流堆、下流が土砂流原

国土地理院2.5万地形図「竪破山」を参考に、現地観察を加えて作図。 
図の東の沢の斜面沿いにも、大きな地すべり地形があるのですが、省略しました

 その後(081219)、見に行った、胎内石、軍配石、神楽石の位置も追加しました。
・・・神楽石の位置についてはあんまり自信なし。150mほど西かもしれない。
・・・地元の方で修正すべき点にお気づきの方おられましたら、ご教示くだされば幸いです。

案内看板によると、太刀割石、神楽石、甲石(堅破和光石)、舟石、胎内石、畳石(腰掛け畳石)、烏帽子石を、竪破山の七奇石と呼ぶそうです。後述するように、皆、なかなか個性・迫力のある石たちでした。
 ということは、手形石と軍配石は、そうではないということで、実物見ても、巨石性と怪奇性の点で、まあ、「どうってことない」というレベルであります。

国土地理院2.5万地形図「竪破山」を参考に、現地観察を加えて作図。 小起伏面の区分は、早川唯弘・三島正資(1997) を参考にした。
1-2  読図 5つの地形面 
 
この地域の地形面概観です。なお、地質はすべて花崗岩。
地形面としては、5つあります。観察会で歩いたのは4つ。
地形面については、早川唯弘・三島正資(1997)を参考としました。

高い順に
1.小起伏面V面の残丘(竪破山)
 630-658m 花崗岩からなる残丘です。南面は、山半分が崩落した大規模な崩落地になっている。山頂にトア(用語参照)があるなど、マサ(用語参照)は進んでいない。
2.小起伏面V面 :標高は620-580m
 定高性のある稜線とそれを刻む浅い谷からなる。 南側に、現成の解析谷が入り込んでいて、小起伏面を刻む侵食前線になっている。そのため、南側斜面は阿武隈山地では急な斜面となっている。竪破山の南半分を崩落させている崩落地も、その侵食前線に対応している。
 マサ化が進み、深層風化しているように見える。
3.小起伏面W面 :標高450-520m
地域の南にあり、観察会では行きません。V面と違って、現成解析谷に大きく刻まれて、稜線部しか平坦面が残っていない。
4.現成開析谷
阿武隈山地南西側を流れる里川の支流の流域。
図の南の、鬼越地区で山間小盆地をなし、その下流で遷急点と峽谷となって里川に合流する。
 谷底まで、マサになっているようで、新鮮な花崗岩は見られない。
5.崩落地・地すべり地
 現成開析谷にある。 防災科学技術研究所(2004)の1/5万高萩図幅により、所在を知った。同図の判読によると、図の東にある地すべり地は、河川の下刻による斜面不安定化による比較的小規模なものと思われる。その他に、小起伏面を変形させている比較的大規模な地すべり地が存在する。
 竪破山南面の、観察会コースとなっている崩落地については、高萩図幅に、地すべり地形として記載されているが、この記録では、急速な崩落と土石流の発生が認められるので、基盤崩落による崩落地形として記載する。
・・・・・地すべり地形と基盤崩落地形とをどう区別するかは、定義の問題であるように思われる。私にはよく分からない。

 高萩図幅には、同じようなタイプの崩落はないようで、多賀山地では類例が少ないタイプではなかろうか。

 地形面と巨石との関係を見ると、
巨石は、2種類の地形面に分布している。
 1.太刀割石・甲石・神楽石: 小起伏面V面の定高性のある緩やかな稜線の頂上にある。
   竪破山山頂の残丘部分には、地図では多数の露岩記号が書かれているが、それとは無関係のようである。
   
 2.不動石、烏帽子石、畳石、手形石:崩落地の堆積域にある。・・・胎内石も
   これも、崩落崖の露岩は、巨石の仲間にされてないようです

 巨石がある立地斜面の性質が違う → 斜面の成因が違うということから、巨石の成因にも違いがあると予想されます。
 また、地図の露岩記号で表記されているものでないことから、普通の岩でなくて、なんか普通じゃない岩なんだろうと思われます。

 <用語> トア
           2-4 トアの語源 参照。

 <用語> マサ
 カタカナ表記しますが、日本語です。漢字で書くと「真砂」。花崗岩質岩石の風化土のことです。花崗岩が風化して粒状の砂のかたまりとなっています。そのようになることをマサ化という。稜線部分がマサ化しやすく、風化層の厚さが数10mに及ぶこともあります。

 
 以下 、登りながら、ルート沿いの斜面地形と巨石を観察した結果を、書きます。 
1-3  土石流による埋積谷底地形 

 駐車場から緩やかな登り傾斜の谷底平地を登ります。上の所在図の、淡緑の部分に当たります。
 横断面の中央がかまぼこ状に盛り上がっていて、両側の谷斜面との境に浅い谷がある地形です。崩壊堆積物が土石流になって流れてきて堆積した地形面と思われます。両側の谷は地形名称で、裾合谷(すそあいだに)・・・鈴木(2000) 714-715p・・・といわれています。
 土石流堆積地形は、上流側から、土石流堆、土砂流原、洪水流原・・・鈴木(2000) 849-852p・・・となりますが、登山道入り口から不動石までは、平均傾斜が 9度以下で、表面の礫も小さく、30cm程度のものが散在する程度ですので、土砂流原にあたると思われます。
 土石流堆積地形の表面には、火山灰は堆積していないようでした。ゆえに、地形面の時代は新しそうです。
土石流堆積物による埋積谷底地形
下流部の土砂流原にあたる地形 駐車場近く。図の460m等高線付近で横断方向に見た画像
中央部のかまぼこ状高まり
礫は細粒。
適当に合成
同 地形の表面
縦断方向に見た画像
地表は凹凸があり、小角礫が散在して
いる。傾斜は 9度ぐらい。
石井良三氏提供
1-4  不動石 ・・・・土石流で運ばれてきた巨礫

 土砂流原の上をしばらく行くと、道がやや急になり、大きな礫だらけの坂になって、坂の頂上に大きな不動石がありました。
この坂は、土石流堆積地形の土石流堆の止まった末端の跡です。位置は上の地図参照。
不動石より上流が土石流堆、下流が土砂流原になるので、不動石より上は、、地図上で傾斜13-14度、礫径も大きくなります。
 不動石も流されてきたものと思えます。勿論、根石ではない。石の周りには、同時に流れてきたぶつかり合って、壊れている大きな角礫がたくさん見られます。 

不動石付近の地形
 不動石は中央人物の上。
人物が登っている斜面が土石流堆の末端斜面。
石井良三氏提供

手前が縦3m、奥に横8m、高さ1.5mになる。
土石流でなければ運べない大きさ。
土石流堆の下流側先端にある。人物の立つ面が、
土石流堆の上流の頂面。
石井良三氏提供
 不動石を、流れてきた石として見ると、色々発見があります。

1.このような巨礫を運搬できるのは、さすが土石流だなあ。 

2.横8m*縦3m*高さ1.5mの直方体で、上図のように押し流されてきたという位置にあり、短径を下流側に向けている。流れてきて止まって、後ろから押されたら抵抗の一番大きいこの形で止まるような気がします。

3.石の後面は、埋まっていて、上面は後ろの土石流堆表面に連続する(右画像参照)のも、いかにも押されて動いてきたという感じですね。

4.画像から分かるように、不動石は、マッチ箱のような(比喩が古い!)、直方体で、断面には節理面が入っています。現在の上面は節理面に沿って割れた面ですね。前面側面も、節理面に直行する平面なので、これも節理面に沿う割れ目と見てよい。・・・風化岩塊でこわれてないい。
 さらに、直方体の各辺に当たるところは、一部割れて欠けてますが、大部分は丸くなっています。明らかに風化による丸みです。・・・・どこにあったものか分かる。
 この石だけでは分かりませんが、登ると出てくるほかの石の形と比べると、いろいろ推測できることがあります。
 4−1.胎内石・太刀割石・甲石の節理の向きから、本来の節理の向きは垂直に立っていたと思われるので、現在横倒しになってるわけです。その点からも、移動して来た礫であると考えられます。・・・・節理の向きから移動の有無が分かる。
 4−2.風化による丸さから、浅い地下にあったと思われる、長く空中に露出していたと思われる太刀割石や甲石より、丸さの程度が低いですね。手形石近くの崩落堆(崩落ブロック頂部)の石とも大分違う。崩壊により初めて空中に露出したと思われる畳石とおんなじぐらい。・・・・この石は、崩壊した山の地表表面に出ていた石ではなく、地下にあった石である。

 つまり、地下浅い所にあった風化による巨礫が、基盤崩壊の発生と同時に、土石流の先頭になってあまり砕かれず、ここまで流れてきたということになります。

 なお、下流側の土砂流原は、土石流の後ろから流れてきた土砂流の堆積面で、土石流堆を越流して下流側に堆積したものです。
1-5  烏帽子石 ・・・・・崩落崖から新たに転落してきた巨礫 と崖錐

不動石から、土石流堆の上をしばらく登ると、谷が2つに別れ、右の谷になります。今までの土石流堆の傾斜13-14度から、斜面は急になり、角度が30度ぐらいになって、表面に角ばった割れたままの巨礫が散在した、崖錐斜面になります。ひときわでかいのが烏帽子石。平面位置は地図参照。 
 崖錐斜面の地下には崖錐に埋まった土石流堆があると思われます。崖錐斜面の上には急な崖がそびえています。・・・立地図参照。

烏帽子石と背後の崩落崖
手前は崩落巨礫の散在する崖錐斜面

崖錐斜面を下から縦断方向で見上げた画像。
烏帽子石と崖錐斜面
斜面角が30+なのが分かる。
崖錐斜面を横断方向で見た画像  
石井良三氏提供
 

 烏帽子石は上面の平らな節理面に沿って破砕した破片で、風化の丸みがなく、全ての辺が角張っています。また、石は崖錐地表面上に乗っていて、ほとんど埋まっていません。・・・不動石とえらい違いですね。・・・・石が分類できるというわけです。
 後述するように、竪破山では、不動石、烏帽子石・手形石、畳石、太刀割石・甲石・神楽石、残丘上のトアの石と、5種の成因の違った石がありました

・・・胎内石は石というより洞窟なので別。あと、軍配石は人工くさい。


  烏帽子石と地形の観察から

1.崖錐面形成後、崖錐面背後の崖(おそらく露岩)の表面が深く大きく崩れて、新たに、烏帽子石や周辺の巨礫が崖錐面上に落下してきた。

2.また、崖はすぐ近くなのに、烏帽子石がより細粒な崩落物で埋まっていないのは、この崩壊後、崩壊したところから継続して崩壊物が落下してこなかったことを示し、露岩の岩壁が大きく壊れて落ちたがあとは細粒物質が落ちてこないような露岩の壁になったものと想像されます。

3.崩落時期は、凄く新鮮な形ですからつい最近みたいですけど、少なくとも江戸時代以前にまでさかのぼるいわれが色々あるみたいだから、少なくとも、中世より前ということになりそうです。

4. 落ちてきたであろう崖を調べないとそれ以上のことはわかりませんが、この崩壊地の滑落崖は大部分、植林されていたりして、日常的に崩れてないみたいです。 また、崩壊地を削るガリー地形がなく、えらく透水性が良くて、雨はみんな滲み込んで、地下水になってしまうみたいですね。つまり、大雨が降ってガリーが出来るとか、地すべりが再活動とか、そうゆう大雨による斜面変動が起きがたいと思います。
 なんせ、花崗岩のマサと巨礫だから、水がすいすい滲みてしまうのではないかな。

5.この崩壊地は、一度山頂直下から大きく崩れ、その時は、崩壊地下半部は水を含んだ崩壊物質が土石流となって土石流堆積面(埋積谷底を作ったけれども、その後は、化石化してしまったのでは、と思います。そこに、突発的に、露岩の岸壁崩壊が起こるということでないでしょうか。

6.このような、降雨のような反復性のある変化でなく、ある時、突発的にでかいことをやるが、その時以外は何もしない、という地形営力としては、大きな地震の際の振動が、思い当たるのですが・・・・。 
→このことは、後で再度述べます。

1-6 無名の巨石・・・・崩落堆(崩落山体ブロック)の露岩 と 崩落堆

 烏帽子石のすぐ先にある、短い尾根状の地形の先端に巨大な石・・というか、大きな露岩がありました。名前はついていないのか看板はありませんでした。・・・画像参照。

 画像の右手、人物のところに手形石と小崖錐があります。この地形は地山ではなく、崩壊で落ちきらなかった山体ブロックが引っかかっているものと思われます。・・・・立地図参照。
 断面が、下流側に急な斜面で頂上が平ら〜反対傾斜する地形で、滑落崖から滑落してきた崩落堆・・・鈴木(2000) p801-803・・・と思います。ブロック全体がまだバラバラになっていない状態で、その先端に出ている氷山の一角とも言うべき露岩でしょうね。

 無名の巨岩 崩落堆の先端。右手の人物の所に手形石
 無名岩の後ろに見える斜面は、別の崩落堆の前面斜面
1-7 手形石・・・・・崩落崖から転落してきた礫


  画像の背景が、上記の崩落堆前面高まり。手前は、崖錐の面

  成因は、烏帽子石と同じ、崖錐上にある、転落してきた礫です。
  
  ・・・・手形状の割れ目は、人工なのかなあ、自然なのかなあ、よく分かりませんでした。

1-8  畳石・・・・・崩落堆の破砕岩塊

 地形を見ると、急な崖(西側の崩落崖直下の崩落堆前面の崖)の麓にあります。  ブロックの下部が壊れて、外にはみ出していると思うと、なんとなく納得がいきます。・・・立地図参照。
 岩の間が隙間になっていますが、間の細粒物質が、降雨時の湧水で流れ去った隙間と思われます。
右上の平地が、崩落堆の頂上。

 畳石は、不動石の様に、角が丸くなっていて、地下浅い所で風化した岩塊だと思われます。
 節理面の向きから、動いていることも推定されます。
 一見、花崗岩の擬似岩塊流・・・池田 碩(1998)を参照・・に似ていますが、擬似岩塊流のコアストーンは動いていない石で、風化作用によってできたのに対し、この石は、崩落して動いてきて、堆積したもので、成因が違います。

1-9  胎内石・・・・・崩落崖に臨む岩峰(トア)基部の洞窟


 <胎内石の壁に見られる割れ目・・・シーティング節理>

 胎内石の節理断面です。図の右お植えから左下にかけて、の方向を持つ平行な節理面が見えますが、これが、上で述べた重力性の割れ目(シーティング節理)。
 看板のところで、左側の節理面がカーブを描いています。

神楽石・軍配石と同じく、後日(081219)に訪れました。場所は、1-1の地図を参照してください。
竪破山山頂から少し下ったきたの稜線に岩峰があり、その根本、南面の崩落崖に面した基部に、節理面に沿って岩が抜け落ちて、狭い洞窟を作っています。
この洞窟が、胎内石。
 位置は、図1-1を参照してください。
 緯度経度は、N36°42′37.84″ E140°33′45.83″(世界座標)


 いわれは・・・
看板の文面によると、
看板1.『看板文面『胎内石(たいないいし) 黒坂命が陸奥(蝦夷)遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、あまりに疲労した黒坂命を見て、その馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に休ませたことから、「胎内」という名がついたと言われています。』
看板2.『胎内石 むかし神がこの中で休まれたという石』

 洞窟の立地は・・・
胎内石のある岩峰は、竪破山山頂の残丘の東斜面にある、比高は10mぐらいの峰で、明らかに、花崗岩山地によくあるトア地形です。
 それが、竪破山南面の大崩壊の崩落崖の縁にあり、岩峰基部は崩落崖にあたります。

 洞窟の成因は・・・
この洞窟の成因ですけど、節理面に沿って、動いて、節理がずれて中身が抜けて、空洞ができたという形をしています。
 洞窟入口のところに突き出している平らな岩板(画像の看板の上に出ている石)は、隣り合った間隔の狭い節理面間の岩体が、上下で圧縮されて搾り出されたと思われる形をしています。
 搾り出された跡が隙間になって、洞窟となっていると思います。

 その圧縮は、何で発生したのかなということですが、胎内石のある岩峰が、竪破山南面の大崩壊の崩落崖の縁にあり、崩れ落ちかかっているためではと考えられます。

 どんな風に崩れているか・・・

 では、落ちかかっているトアにはどんな割れ目が入っているかというと、この岩峰、ほぼ垂直に何本もの並行する大きな割れ目(シーティング節理・・・用語参照・・・だと思う)が入っています。右図→
                 
 割れ目の方向は、崩落崖と直交し、稜線を横切る方向ですが、その一番手前側の割れ目に沿って板状の節理ブロックが手前側に倒れ掛かる形になり、開口した溝を作っています。
 また、崩落崖の直上(岩峰の基部)では、割れ目に沿って岩体が剥がれ落ちて、破断面がみえ、その基部に洞窟があるということから、この岩峰は、割れ目と直交する向きに滑り落ちかけているのではと思われます。

 <用語> シーティング節理
 上に用語として出した、「シーティング」というのは、節理の一種ですが、冷却の際に出来る節理と違い、地下深いところにあった花崗岩体が、隆起侵食により上部の岩石が取り去られ地表に露出すると地下の圧力が開放されて、地表に平行で、地表に近いほど密な、何層もの節理面が作られることを言います。

 竪破山の奇石の節理
 この割れ目が、本来のシーチング節理なのかは、学が無いのでよく分からないのだが、少なくとも同じような、地表に平行に形成された重力性の節理なことは確かではないかと思います。
 節理には、地表近くで作られる後生的な節理もあるというのは、結構重要で無いだろうか。

実は、竪破山の花崗岩奇石には、コアストーン(用語参照)の内部に平行した節理割れ目が見られ、それが固着しているらしく、木の根開口作用によりようやく分離するというのは、変だなあと思っていました。
 冷却時点で出来ている節理なら最初から開口しているのでは、と思いますので。
 また、巨石に丸みがあり、たまねぎ状の風化によると言われていますが、胎内石の断面でこのシーティング節理の形を見ると、面の上端下端でカーブを描いています。冷却節理は節理面が直線・平面という観念があり、丸みのある花崗岩はたまねぎ状風化だと思うわけですが、重力性の節理の場合、最初から丸みを持った巨岩が作られることがありそうです。太刀割石はともかく、甲石はその可能性があるのでは。

 不動石や畳石の角の丸みは、規模が小さく、曲率が急なので、たまねぎ状風化かなのではと思いますが

 <用語> コアストーン
花崗岩山地なら、結構いたるところにあります。
地形学辞典(1981) 二宮書店 より引用・・・・・コアストーン (E)corestone (G)Kern (F)noyaux 花崗岩のように比較的均質な岩石が,球状風化を受けて風化部から球殻状にはげ落ちるとき,その内部に残った新鮮な部分をコアストーンという.
風化は普通節理面に沿って進み,風化部が洗い流されても,未風下部が元の位置関係を保ったまま動かず,地上に積み重なったものをトア(tor)といい,地上に転げ落ちたものをコアストーンと区別してよぶ用法もある.【文献】Linton.D.L.(1955):The problem of tors− Geogr.Jour.,121 (佐藤 正)  ・・・・・引用終わり

 
1-10  崩落地内の巨石と崩落地微地形との対応

 崩壊地の模式断面の上に巨石の位置をいれてみました。


土石流堆:不動石
崖錐 : 烏帽子石と手形石
崩落堆 :畳石 と 無名の石

見て行って、巨石がそれぞれ、自分の生い立ちを語っているのに感銘を受けました。
同じ地すべり崩壊によるものではあるが、違った成因でできているので、それぞれの石の立地や周辺の地形、石の形などに違いを読み取ることができるのが面白いと思います。

 古人も、これらの巨石群に、特異性を感じて、名前をつけたのでしょう。

 巨大な硬質礫だからこそできることで、他地域の割れ目が多い岩石では、みな崩れてしまって、石からはこんな推論ができません。
 たとえば、我々の地元、房総の地すべり地や崩落地では、崩れた岩盤は小さくバラバラになってしまうので、巨礫(巨岩)はほとんどありません。見るべき対象は、微地形や植生だけで、地味で説明したって、あんまり受けないですね。 巨礫自身が、自分の成因を物語るのは、初めての経験で、だれでも分かりやすく、かつ面白いと思います。 こんなことはどんな本にも書いてない・・・と思います。 
石井良三氏提供
1-11 崩落崖・・・・今回見てない

畳石から、その上の崩落堆の頂上に上がると、崩落崖とその前面の崖錐斜面になります。

 右図参照。 杉の植林と笹の斜面が崖錐。節理面の入った急な露岩が崩落崖です。

 2.5万地形図でも、崩落崖の麓と頂上に露岩記号が書かれている。
中身が見えれば何でも取り付け、というのが、野外の教えだが、大変そうだったので、パス。
 山体を作る花崗岩の風化状態を観察しておけばよかったです。
 ・・・・こうゆうのは、後知恵で、最初だとそこまで頭が廻らない。

 この崩落崖は、厳密には小起伏面の部分の山体なので、竪破山残丘の山体花崗岩は、烏帽子石側の谷を詰めて出てくる崩落崖を見る必要があります。
1-12 弁天池・・・・湧水と風化面・未風化面境界 谷頭の地すべり地形

崩落崖を登りきると、道は巻き道になり、仁王門経由、太刀割石へと行きます。 ⇒上の画像
 ここは、崩落地から外れて、小起伏面V面にあたり、小起伏面の谷の山腹斜面を稜線近くで巻いていく感じになります。

 小起伏面の谷というと凄く緩やかというイメージがありますが、実物は結構急で、下総台地の谷津斜面の源流部とそんなに変わらない感じ。 傾斜谷の横断方向でみて、急な所で28度ぐらい、緩い所で18度ぐらいでした。 

 弁天池は、その谷の詰め上げにあって、そこで泉が湧いています。
泉と稜線の高度差が、稜線下20-30mぐらいありますが、それが、稜線下のマサ化した層の深さ=マサ化していない花崗岩の基盤の高さを示しているのかも。
 弁天池のすぐ下流は、小規模な地すべり地形のようになっていて、2段の平坦地になっています。弁天池は、上の段にあり、いわゆる滑落崖直下の池にあたるのかもしれません。・・・・・このへん、通りすがりなので、確信は無い。
小起伏面の谷の巻き道 弁天池 池と東屋のある平地が上の段
木の間越しにより広い下の段が見える。
1-13 太刀割石 ・・・コアストーン

<概要>

仁王門より弁天池の上を巻いていくと、稜線に、太刀割石が現れます。なかなか壮観。 位置は、最初の地図を参照してください。

存在場所は、小起伏面V面の、阿武隈山地の分水界に当たる稜線。 
 ⇒画像1。直立していた石が中央から縦に2つに割れて、左側の石が足元をえぐられて倒れたんですね。倒れている石の上面は平滑な平面で、右の石の背面と平行で、節理面と思われます。このような節理面は、不動石、畳石などでも見えたし、後で行く甲石にもありました。
 ⇒画像2 周りを見回すと、標高620mの定高性のある、幅広の緩やかな尾根で、稜線トップから少し里川側へ下がった緩やかな斜面にあります。緩やかな斜面は、笹原ですが、倒れている石の下から緩やかなマサが移動した浅い谷になっている。この浅い谷に足元をさらわれて倒れたのでしょう。
 画像2の石の手前の杉の木4本が囲むのが浅い谷の頭。石の手前の3人の人物の右側には、石を倒したと思われる谷の頭からの移動物質が溜まった高まりが見えます。
 ⇒画像3.立っているときの姿を復元した概略の寸法図です。 きちんと測っていないので、再測の必要ありますが、形状は、一見真円のように見えるが、遠近法のいたずらで、測ってみると縦長で、どっちかと言うとドングリの実(真っ二つになっている)形と思ったほうがよい。
 ⇒画像4. 立っている石の背面。石の様子を見ると、倒れている方もそうですが、未風化ででカチンカチンの花崗岩のコアストーン(花崗岩のマサ化する風化で、風化を受けず球状に残った未風化の部分)です。 ほんの一部、たまねぎ状風化の剥離層が見えるのみ。
 しかし、形は、たまねぎ状風化の結果により、当初は、節理面に沿ってマッチ箱状の直方体であったものが、角が大きく丸まってドングリの実のようになっており、たまねぎ状風化を受けたことがあるのがわかる。

画像1.最初に見えてくる光景。 画像2.周辺の状況 ・・・石井良三氏提供
画像3.概略寸法図(2つに割れる前の復元) 画像4.まだ立っている方の石。

 小起伏面地域の山の稜線は、基盤岩である花崗岩が、マサ化しつくしていて、ゆるやかな砂の山になってしまっています。そこに、ポツンと1つだけ大きな岩塊があるので、不思議なわけです。 
 この石だけ、何故マサ化しなかったのか、何故今でも新鮮なのかは、分かりませんが、風化し残ったことは確かです。

さて、 この石の下に、続きがあるか無いかで、成因が異なり、2通りあるのですが、どちらとも確かめられませんでした。
 ・・・・・石の下を掘って、地下はどうなっているのか知りたいところですが、そこは分かりません。掘ったら石がぐらりと落ちてきて、プチンと潰されてしまいそうです。
  (1) 石の下に別のコアストーンがあり、トアの頂上の場合・・・・石は動いていない。
  (2) 単独の石で、下は続きが無い場合。周氷河現象の凍上作用で、巨大なコアストーンが地表にせり上がってきたと解釈される。・・・当然石は動いている。

 甲石と太刀割石は、(2)の作用でできたものと、考えた方がよさそうな産状なのですが、証拠がありません。神楽石は明らかに、(1)のトア地形です。
 ということで、甲石と太刀割石も、(1)のトア地形として記載しておきます。
 
<現象>

 この石の、成因、変遷などに関連しそうな、観察事項を書き出してみます。

●割れた形を復元すると、ドングリの実型になる。節理系の形によるもの。
●幅5.5m高さ6m奥行き4mの節理ブロックから作られた形。
●このブロックは、4mの中央2mのところに節理面があったが固着していた。 
●節理の間隔は最短で2mぐらいあり、広い。
●右の立っている石の節理面の走行傾斜を計測したら、甲石と同じであった。⇒石が動いていないことを示すかもしれない。
●周囲に他のコアストーンは全然見られなかった。・・・右の石の背後(地形面はマサ化した稜線の凸面)に、かなり大きな岩塊と岩片が2,3散在するが、人工の可能性がある。また、左の倒れている石の下のクリープ谷には、10cm程度の破片が多数見られるが、大きなものは無い。⇒周りの節理ブロックはすべてマサ化して、クリープしてしまったことになる。

●露出しているので、上が丸いだけでなく下も丸い⇒このことは、地上で玉ねぎ状風化が起きたことを示している。
●右の立ち石頂上部分と、左の倒れている石の底面に、一部たまねぎ上風化の割れ目がある。あとは割れ目無く新鮮な感じ。⇒たまねぎ状風化は、以前は起こっていたが、現在は弱まっていて、風化した部分は、大部分剥げ落ちてしまっている。
●木の根の跡はないが、よく起きている現象だし、木の根で割れたのだろう。⇒後述
●開口以来、開口部の角が丸くなっていない・・・微妙に丸くなっている、時間が短いために風化が進んでいないだけかもしれない。
●開口面は、倒れている方の面は平滑だが、立っているほうの面は、細かい割れ跡があり、面もツルツルでなくガサガサ。
●岩体は非常に堅硬で、割れ目もない

●石のある斜面・稜線は、風化したマサの厚い層でできている。
●石の転倒はクリープによる谷の発達により足元を崩されたせいに見える。地震等の突発的な大きな力を想定しなくても十分可能。
●マサの上には、薄い黒土があるだけで、火山灰等の堆積物は無い。現在も石を倒した浅い谷が示すように、 マサのクリープは続いているが軽微。現在の気候下では、雨が降っても浸透してしまうので、地形は化石化しているといえる。
●斜面物質が移動した時期=石が地表に露出した時期は、マサが大量急速にクリープした時期、氷期しかないと考えられる。
●左の石が転倒したのは、謂れがあることから、中世以前。
●最近十年間で、倒れている石の勾配が増し、ずれ動いているとの報告がある。⇒泰山さんの古代遺跡探訪記 竪破山パート2  ・・・・大きな画像が付いていて、一見の価値あり。
●20110311の大地震で、さらに、滑動してずり落ちたとの報告へのリンク。 ⇒前田善次氏の東日本大震災 ・・・・労作です。御一見下さい。


<解釈>

 風化のスタイルについて、材料を集めてみると・・・。
○ 露出している岩のほうが、丸みが強い+甲石の玉ねぎ状風化⇒露出すると玉ねぎ状風化が始まる
○ 角が丸くなる角取り風化は、地下でも起こる。←畳石
○ 開口以前のコアストーン化が完全で、風化部分は大部分剥ぎ取られてしまっているので、全然風化を受け付けないのだろう。とも考えられる。しかし、そうとは思えない。現在(間氷期)は、木の根開口は盛んだが、玉ねぎ状風化や粒状風化は氷期に比べて弱いのでは。

 ↓
 太刀割石の変遷史 上の(1) トアの先端にあたるという考えで、作ります。・・・・(2)の凍上説だと、stage2のところのイメージが異なります。

  変遷過程をイメージしてみると。
.地下深い:周りの節理ブロックはすべてマサ化、おそらく書く取り風化が進んでいた。形状は四角。⇒
.稜線が低下し、石が地表に露出する。玉ねぎ状風化始まる。ドングリ型になっていく。⇒
.露出が進み、下部も露出。玉ねぎ状風化が進み、ドングリの実型になる⇒
.たまねぎ状風化がやみ、コアストーンができる。木の根が入り割れ目ができる⇒
.クリープ谷の発達により下をえぐられて、左側が転倒。 ⇒
.その後400年以上、そのまま。
   ↓
  氷期・間氷期の風化侵食力の変化についてまとめてみると

氷期:  斜面のマサ、冬季前後のクリープ移動活発、稜線侵食、幅の広い尾根形成。玉ねぎ状風化・角取り風化ともに活発。
間氷期:高透水性により侵食停止。冬季のクリープも弱くなる、化石地形化。 木の根割りは活発。玉ねぎ状風化・角取り風化ともに不活発。
  ↓
  石の変遷ステージと、風化侵食営力の変化とのあてはめによる時期の推測。
○ ステージ2. 斜面が活発なクリープによって侵食をうけ、マサが除去されて低下し、石が露出し、たまねぎ状風化が進んだ時期は、おそらく、氷期でないだろうか。5万〜1万年前。
○ ステージ3. 木の根が入って開口するステージ3が、間氷期にあたる。1万年前以降。
○ ステージ4. 転倒するステージ4は、歴史時代、中世以前。400-500年前。
○ ステージ1の時期は、鮮新世末(小起伏面形成期)から最終氷期前まで。・・・ということは、5万年より前のいつごろかで、要するに分からない。
  
  上記の変遷史を図にしてみました。

太刀割石の変遷推定   By Yosimura.M

1-14 甲石・舟石 ・・・・トアのコアストーンと剥離した破片

太刀割石から、稜線沿いに歩いて、竪破山残丘の麓、黒前神社本殿までくると、境内に、甲石と舟石があります。

甲石は、太刀割石と同じ成因の石ですが、まだ半分が地下にありすべて露出していない状態のようです。
舟石は、甲石の東面がおそらく木の根開口作用で割れて、剥離したもの。
甲石に入っている、平行した割れ目は、明瞭だけど密着していて、一方向だけで、開口してないという特徴を持ち、胎内石で見られるシーティング節理と同じものと思われます。この割れ目は、巨岩ブロックの周辺では曲面になるので、舟石の外形が曲面になっているのは、その節理面に沿って開口したせいと思われます。
 また、単に落下したにしては、ずいぶん離れていて、跳ね飛んだというべき状態で、大地震の際の炸裂破壊にあたると思います・・・・炸裂破壊については 池田(1998)参照。


甲石 竪破山側より。  甲石北面 割れ目は節理面  頂上部の木の根開口による
 節理面に沿う剥離

舟石 
剥離破片。人物の乗っている部分が
曲面なのに注目。
舟石はただの自然落下では考えら
れないほど甲石からはなれている。
甲石 全景

頂上部の木の根が、上の右画像の節理面に
木の根開口を起こさせ剥離させている。

・・・石井良三氏提供
 1-15 神楽石 ・・・・・・トアのコアストーンで、木の根開口が進んで、数片に分離したもの


胎内石・軍配石と同じく、後日(081219)に訪れました。場所は、1-1の地図を参照してください。離れていますが、太刀割石・甲石と同じく稜線上にあります。
地図上の位置については、軍配石を探すのに手間取って、位置確認に自信なし。地図の地点より150mほど西の稜線上かも。どなたかご教示いただければ幸いです。

立地は、太刀割石・甲石と同じく小起伏面V面の稜線上にあります。神楽石は、長さ150m幅40m比高10mぐらいの低い峰の山頂にあります。
この峰は、地形種別からいうと、稜線に大きな露岩が散在する花崗岩でできた岩峰(低いトア地形)で、神楽石はその山頂のコアストーンです。

トア山頂の、コアストーンという点では、竪破山山頂の黒前神社本殿背後のイワクラの石と同じです。 

氷期に、トアが形成されたときに露出した巨岩と思われます。 ただ、こちらは、下の写真のように、その後の木の根開口作用で、開裂しています。


奥の石が直立している。手前の石が割れて倒れかけている。
割れ口はぴったり合致する。

右手の直立している岩に、左の2枚の岩が元はくっついていたのが
割れて倒れているのが判ります。
こっちから見ると、蝶や蛾が羽を広げた感じに見えますね。

石の裏側。右手の石が中心の直立している石。
左手の薄い石が木の根開口で分離したのがわかる。合わせるとぴったり合う。

 
 トアの岩石。細粒の黒雲母花崗岩。

 石の形が変わっていて、神楽石は、元は単一の石であったものが、木の根開口が進み、少なくとも4枚の板状に割れて、板状石の集合になっています。
看板の文面によると、 『神楽石(かぐらいし)  「竪破山絵図」(元禄4年)では「まいまい石」と言われ、竪破山の神霊が浜降りの際、折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、一休みのためにお神楽を奏し神楽舞をしたとされ、石の名になりました。』 とのことですから、本来は、まいまい石と呼ばれていた。「まいまい=幸若舞」 という理由で、名前のいわれになっているということですね。
 しかし、憶測すると、「まいまい=舞々蛾」 のように、「蛾が羽を広げたような形の変わった形の巨岩」 というのが、より古い本来の意味ではないのかなあと思ったりします。

 大きな丸みを帯びた形の石が、稜線上で露岩となったあと、木の根開口により割れていったとして、その割れの進み方の差が、
竪破山山頂の石(開口ができているが割れてない) →甲石(割れ始め、小破片・・舟石、を分離) →太刀割石(2つに割れている) →神楽石(4〜五片に分離)ということになっていると、見ることができます。


 1-16 軍配石 ・・・・・・コアストーンの破片だが、人工くさい

神楽石と同じく、後日(081219)に訪れました。場所は、1-1の地図を参照してください。太刀割石から神楽石に行く途中の道の脇にあります。

地形で言うと、太刀割石の北方の小起伏面の稜線上、稜線から下がった緩斜面に1個だけポツンとある。
そもそも石と地面の高さが同じで、エッ 「これが奇石?」 という大して珍しくないレベルのものでした。
石は平らだし、看板も取れて落ちていたので、最初は、通りかかっても気付かなかったぐらい。 竪破山の七奇石に入っていませんが、当然というべきか。

<全景> スケールは1m.
ご覧の通り、さほど大きくない表面が平らな石で、周りを丸太で囲まれている。掘れなかったので、石の厚みはわかりません。
<看板> 見たときは地面に伏していたので、幹に立てかけて撮影。取り付けが取れたらしい。
 名前だけで、由来等は書かれていない。

石の様子から、神楽石の割れ残片のような、コアストーンの破片の平らな板状の石が埋まっていると思われます。 それで、自然の石ならば、元の石があるはず、あるいは、仲間の平石が周りにないかなと見回したのですが、見当たりません。

幅広い緩やかな凸斜面に、一個あるだけ。それが不思議です。
この緩斜面は、侵食小起伏面起源の稜線付近の凸斜面が、氷期に一時周氷河環境下に置かれたであろう斜面で、火山灰層がなく、マサ化した花崗岩からなっています。
自然のものだとすると、仲間の残片がいたはずですが、斜面の下部には見当たりませんでした。

 たいして大きくないし、人工的に運んできたものと考えると、一番もっともらしいのですがね。
この稜線沿いのルートは、神楽石に向かうルートであり、神輿の通り道であるとの事でもあるし、信仰上の理由で人工的に運ばれて設置されたと考えても無理が無い様に思いました。 まあ、これだけでは、どちらとも決めがたいですけど。
 1-17 残丘(竪破山)と小起伏面。

残丘の登り道。
比高30mぐらいで、かなり急。
山頂は狭く、黒前神社社殿が見える
550m+の残丘山頂 トア地形をなす花崗岩。
黒前神社社殿が碑の向こうに見える。
割れ目製作中
太刀割石・甲石のある標高620m程の広い平坦な稜線は、多賀山地が7段の小起伏平坦面に分けられているうちの、上から三番目(V面) に対比されています・・・早川・三島(1997)による
 竪破山山頂は、その平坦面上より、高くなっていて、V面に対する残丘となっています。
 二つの峰があり、西峰には、黒前神社社殿とその裏のトアが、東峰(標高568m)は、三角点と展望台があります。東峰も、露岩が地表にあちこちに露出していていて、マサ化していません。

 一般に、残丘が小起伏面上に突出するのは、そこで、より侵食に強い岩質の岩石が分布しているためで、斑レイ岩が多いといわれています。 竪破山残丘は小起伏面を構成する花崗岩でできていて、地質図上では区別はありません。 しかし、山頂部にはトアや露岩が多く見られ、明らかに小起伏面の花崗岩のようにマサ化していず、岩塊のままです。
 この風化の違いを起こす岩質差異の理由としては、同じ花崗岩でも、竪破山の花崗岩は、ちょっと見、小起伏面の花崗岩より、細粒であるように見えますね。


 残丘を作る黒雲母花崗岩 展望台付近で採集




  1-18 残丘山頂(竪破山山頂)から近くの残丘(高鈴山と神峯山)と小起伏面を望む。


南北の断面概念図    By Yoshimura.M

山頂の鉄製展望台から、四周が見渡せますが、特に南側の、高鈴山方面がよく見えます。

展望台 石井良三氏提供

 <小起伏面オーダーで概観>
阿武隈山地の茨城県側部分を、多賀山地といますが、多賀山地は、7つの小起伏面(高い方からT〜Z)に分けられています 早川(1997)。
阿武隈山地南部は北から南に段々低くなるのですが、
高鈴山より南の多賀山地は古生代の日立変成岩という岩石が分布していて、その部分がやや高くなっていて、高鈴山は、その最高峰で、小起伏面ではV面にあたります。
 
高鈴山より北では、白亜紀の阿武隈花崗岩が広く分布。
それも、南の入四間(いりしけん)岩体と、北の鳥曽根岩体に分かれるが、入四間(いりしけん)岩体は侵食に弱いらしく低位の小起伏面X、Yになっていて、高度が低い。
鳥曽根岩体は竪破山をつくる花崗岩で、V面になっています。

 <山の形オーダーでより細かく見ると>
1.神峯山はなぜかっこいいか
左手に見える神峯山は、阿武隈には珍しい形のよい尖峰です。
 この山は、山の南側の宮田川流域で侵食の復活が大きく、V面が破壊されてしまった部分に当たるとのことです 早川(1997)。
 つまり、新しい地形で、削られつつある山らしい。
 高鈴山が小起伏面(要するに、現在の谷の侵食前線より上にある化石地形面)の残丘で、なだらかな峰なのに対して、急斜面で囲まれた尖峰なのは、地形が新しいことの現れということになると思います。

2.高鈴山頂は何故高い
 地質図で、高鈴山の山頂とそうでないところの地質に違いがあるのか読図してみると、高鈴山の稜線部分は緑色結晶片岩にあたり、特に山頂部分は、石英片岩層になっています。
 結晶片岩類は、そんなに侵食に強い岩ではありませんが、結晶片岩の地域では、原岩が堆積岩起源の黒色片岩(泥質片岩)に比べて、凝灰岩起源の緑色片岩は侵食に強く、特に石英片岩は、鳥なき里のコウモリという調子で、硬い岩として滝を作ったり、峰の頂上になったりします。・・・・地質図は、細かいのがなく、大森昌衛・蜂須紀夫編著 1979 日曜の地学8 茨城の地質をめぐって 築地書館 200p のp87を参照しました。
 ということで、高鈴山の山頂は、岩質の影響で石英片岩層になっていると、言えそうです。
    以上、ルート沿いに見たメモはこんなものです。
 2.個々の現象から、考えたこと
2-1 小起伏面と残丘

 ちなみに、小起伏面は、多賀山地では、ドーム状の隆起に対応して7段ある・・・早川・三島(1997)・・・・そうです。
 V面の形成年代は、阿武隈山地北部と対応するとすれば、中位小起伏面に対比されるから、鮮新世末ということになりそう。

   感想1.阿武隈の小起伏面(準平原面)って、1万年まえの地形?
 形成年代が凄く古いし、その後、破壊されてないわけですから、緩斜面にはどっさり古い風成堆積物(火山灰など)が乗っててもいいですよね。ところが、今回見た、V、X面の小起伏面の山稜や斜面には、何にも載ってない、マサの侵食面でした。
つまり地形面は凄く古いのに、面の上は侵食されてて、地形表面は新しい。つまり、過去の故事来歴は無視して、現在の地形がいつできたのかだけを中心に見るとしたら、阿武隈の小起伏面は、凄く新しい地形である、・・・具体的には、「最終氷期で周氷河作用を受けて平滑化されて以降化石化した地形である。=1万年ぐらい」ということになるのでしょう。

   感想2.こんな脆弱な山が、長期にわたって保存されるわけ?
今回、V面とX面の小起伏面をみましたが、とにかく山頂山稜が厚くマサ化していて、砂でできた山と同じになっている、極言すればシャベルで掘れば掘れちゃう山になっているのが印象的でした。
こんな脆弱な山が、隆起準平原の形で残る理由を考えてみると、
 1.新鮮な花崗岩は硬いので、川の侵食が及ばない。
 2.小起伏面に対応する基準面以上では、侵食がない。
と言うことになると思います。
 でも、1について言うと、鮮新世以来、1000mぐらいは分水界の高さがある川なんだし、水量もあります。遷急点が上流まで到達してないほど、無能なんでしょうか。少なくとも、夏井川などで、下末吉期の海岸段丘に対応する遷急点がかなり上流まで行っています。
それより前の川はどうしたんだ? と思うんですが。
 2についていえば、マサになって、高透水性になって、と言うことなんでしょうか。では、花崗岩じゃない地質の所ではどうなっているのでしょうか。 花崗岩に特有の地形なのでは?・・・・色々疑問が湧いてくるのですが、よくわかりません。

   感想3.残丘の破壊について
阿武隈山地には、小起伏面の上に突出する、丸っこい独立峰の残丘地形がたくさんあります。
この竪破山とか、いわき市の湯ノ岳、閼伽井嶽、水石山ぐらいしかまわっていませんが、そのうち3つには山頂に達する侵食地形がありました。竪破山の崩落地形、閼伽井嶽、水石山の地すべり地形などです。
 残丘ってのは、侵食されつくしてるので、侵食なんかないのかと思っていましたが、隆起準平原なので、侵食前線沿いに、結構、残丘破壊があるみたいです。
 ただ、高透水性により、河川による線的侵食が働かなくなるので、地すべり・重力性崩壊・断層など、マイナーな侵食が効いて来る様に思います。

   感想4.残丘めぐりをやったら面白そう
 千葉の山は、できたばかりで、年取った山が少ないんで、できないのですが、こうゆうプリンを伏せたようになるほど侵食の進んだ、似た形の山をたくさん集めて、年取った山というのについて、情報集めてみたらかなり面白そうな気がします。
 地質との関係、地形変換線と地質境界、比高と面積、節理の方向と平面形 など、色々な所で未知の点があるのではないだろうか。
 たとえば、残丘を構成する岩石の平面分布形と山の形・・・径と比高がかなり相関するらしいとか・・・とか、残丘に働いている侵食形式・・・普通の河川侵食は働きにくくなる反面、竪破山みたいに基盤崩壊や地すべりによる侵食が起こったりするみたいですし、
 特に、物凄く古い地形であると、思い込まれていて見過ごされていないだろうか。残丘地形って、火山灰にも覆われていないし、新しい地形なのでは。
 「残丘めぐり」というのをやってみたら、面白そうです。 文献・・・里見(2005)など。 
 すでに誰かやっていそうな、「活断層めぐり」などとならんで、面白い発見がありそうな気がします。
 2-2 南面の崩落地跡は最高の観察地

  ルート沿いの観察で述べたように、竪破山南面はすばらしい、大規模崩落地形でした。
 行く前の読図で、竪破山の登山道(駐車場から稜線まで)沿いの地形は、地形図で見ると、基盤崩落が土石流となった崩落地形と読めるし、空中写真判読専門家が作った、1/5万の地すべり分布図にも、記載されていました。 しかし、残丘が侵食されるなんてことがあるのかしらと自分の判断に一抹の疑念を抱いていたのですが、行ってみたら、実に明瞭な崩落地地形でした。
 阿武隈山地のような、隆起した小起伏面山地では、前輪廻地形(ここでは小起伏面Vと竪破山残丘)を刻む侵食前線ぞいに、活発な侵食活動があるとのことです・・・早川・三島(1997)
 現地を歩いてみると、崖上部は不明瞭になっているけど立派な崩落崖があり、その前面に、崖錐がのる崩落堆と、その下流の崩落物質が土石流化して堆積した埋積谷底地形がありました。 山頂南面が大きく崩れ、土石流となり、末端は本流谷底(現在の駐車場のところまで)流れたようです。
 道沿いの、不動岩、手形岩、烏帽子石、畳岩などの巨石は、その崩落や土石流に関係した巨大礫でした。
 崩壊の時代は、地形が新鮮で、火山灰にも覆われていないので完新世の、新しいものと思いますが、少なくも、歴史的な謂れから中世以前ということになります。
 新しい崩落地って、砂防でいじられてしまうことが多いと思いますが、この崩落地は、人工改変が無く、かつ、化石化していて、最高の観察地だと思います。

 2-3 太刀割石、甲石など稜線の侵食

1.小起伏面の稜線上にある、太刀割石・甲石・神楽石は、観察記録のところで示したような変遷で形成されたものと考えます。
  トア起源の石であると、単純に考えると、岩の高さ3-4mの厚さ分のマサが稜線から侵食されて、稜線頂上の高度が下がったということになります。ただ、後述するように、氷期にコアストーンのような巨礫が選択的に地下からせりあがる凍上現象で稜線に飛び出しているのではという可能性もあります。・・・どっちの場合でも、稜線部分の侵食が進んだことは同じですが。

2.現在、稜線部分でのトアの風化による縮小とマサの移動は、残丘部でも定高性稜線部分でも停止または弱体化しているようで、化石地形化していると思います。火山灰に覆われず、土壌もほとんどありませんから、化石化は最近の現象ということになる。
3.ちなみに、竪破山を水源とする十王川最上流部に小侵食盆地があり、そこでの地形発達史の論文・・・磯部(1991)・・・から推定すると、高位の小起伏面のトアの形成と稜線のマサの移動・削剥時期は、2万をはさむ氷期に当てるのがいいようです。
4.面ができた時期が、鮮新世で、つい最近変化しているというのは、矛盾するみたいですが、地形の大きさのレベルが違うことと、阿武隈山地の河川がたくさんの遷移点を持っている・・・磯部(1991)・・・事が示すように、更新世末以来の侵食が上流に及んでいないことによって、河川最上流の分水界稜線では、氷期にのみ、風化と面的な削剥が小規模に起こり、間氷期には、地形が化石化するのでないかなあと思います。

2-4  トア・コアストーンの語源

◇ トアの語源。

地形の用語です。あんまり知られていない言葉のようですが、花崗岩質の岩石に多い地形ですので、日本にも沢山あります。
用語を覚えた元の文章をそのまま引用します。 池田 碩(1998)花崗岩地形の世界.古今書院:206p.のp114. 
 ・・・・ 『トア(トール) Torとは、基盤岩の一部が塔状や塊状に、地表面から数m〜十数m突出した地形である。トアの形成は、局部的な岩質の違いによる硬度の差や割れ目(節理)密度の差が、侵食の過程で抵抗力の差となって生じた際の突出部である。節理が発達し風化が進みやすい花崗岩は、トアを特に形成しやすい岩石である。
 トアという言葉は、イングランド南部ダートモアDartmoor地方での呼び名である。それが普遍的な地形用語となったきっかけは、この地の地形を論じたリントンLinton,D.L..らの研究報告である。 トアの名称で最初に報告されたのが氷期には激しい周氷河気候下にあったダートムアだったため、トアは寒冷な環境で形成される地形というイメージがある。しかし、どのような環境でも差別侵食がおこれば、トアが形成される可能性はある。例えば日本は、降雨量が多く、しかも壮年期の山地が発達しているため、岩質に差があるところでは激しい差別侵食作用が生じ、その産物としてのトアが形成されている。』 
 ・・・・ とあり、p116-117 で、南アルプス地蔵岳のオベリスクや、奥秩父金峰山の五丈岩などが例として紹介されている。
甲石+舟岩 や、太刀割石は、規模が小さいが、差別侵食で突出した地形ですので、トアといってもいいと思います。風化の点から言うと、風化しないで残っている球状のコアストーンということにもなりますが、地形として言うとコアストーン1つで出来ているトアということになるんでしょうね。

竪破山山頂にあるコアストーン
2-5 太刀割石の綺麗な破断面について・・・・木の根開口作用

 太刀割石のように、球状になるほど風化した石が、節理面で綺麗に真二つに割れているというのは、確かに奇観です・・・飯田 毅(2003)。 実にうまく偶然が積み重なって、この石ができたものだと思います。

 ただ、空中に露出した大きな石の節理面を木の根がきれいに割る(開口させる)現象・・・この記録では、「木の根開口」と書いています・・・現象は、私の乏しい経験でも節理間隔の粗い花崗岩からなる峽谷で何例も見ているので、よくある現象のようです。
 メカニズムとしては、固着していた節理面に木が生えて、微細な隙間に根が入り、成長するにしたがって、根が大きくなって、節理面を開口させるようです。
 例として、山梨県大菩薩山系の日川竜門峡の「木賊の石割りケヤキ」の画像を出します。この峽谷は、甲府花崗岩体の節理間隔の粗い花崗閃緑岩でできていますが、その巨大な角礫が崩落、堆積した後、木によって節理面が開口されています。

 このように、大きな固着した節理面を開口させるには木の根の作用が効果的らしく、非常にきれいに割れ、木の根の跡も岩に残らないようです。
そう思ってみると、今回のルートでも、甲石でも、竪破山黒前神社の裏トアでも、節理面に根を入れた木と開口した節理面が見られました。

 なお、木の根は節理面を拡げ、開口させるだけです。舟石のように、甲石から剥離したことは確かでも、自由落下しただけでは離れ過ぎていて、むしろ、放り出されているように見える例もあります。
 これについては、大きな地震の際に、振動によって、岩が飛び散る現象:「炸裂破壊」や、石が跳ね飛ぶ現象:「跳ね石」が発生しています・・・例、池田 碩(1998)、p144-149。 舟石は、木の根開口で割れ目ができていたところに炸裂破壊か跳ね石が起こって、飛ばされたのではないかと思います。
 なお、太刀割石の転倒も炸裂破壊の可能性は考えられますが、石の足元の状況から、足元を掘られて転倒と考えました。

木の根による花崗岩節理の開口。

山梨県大菩薩山系の日川竜門峡にて。
甲石の節理面に根を張る木

右端の節理面は頂上の根により
開口している。・・・石井良三氏提供 
竪破山山頂のトアに根を張る木

節理面は根により開口している。

なお、木の根開口作用は、現在の気候・植生条件化で起こっている作用なのは当然として、氷期に、トアやコアストーンの露出、コアストーンの凍上、コアストーンのたまねぎ状風化などが起こって、丸っこい巨岩が稜線に作られ、氷期が終わってのち樹林化してから、木の根開口で割られてきたと考えることも出来そうです。

 また、胎内石や太刀割石・甲石・畳石などの平行した固着した節理がシーティング節理とすれば、これは残丘や小起伏面形成期ごろに遡る、より古い形成の節理ということになると思います。

2-6 突発的な侵食イベントについて

今回の観察地域は、侵食前線上の前輪廻地形(小起伏面)であったり、マサ化した高透水性の岩質のため、河川による線的な侵食があまり働いていませんでした。
 それで、存在が目立つようになったのかもしれませんが、日常的な侵食作用でなくて、突発的な、ある日突然起こるが、1回きり、あるいは長い休止期のあるような侵食も、結構、重要なんだ、と示している気がします。

 ここでは、
1.高透水性岩石の山地での地すべりや基盤崩落 例 竪破山南面の崩落地形
2.地震による炸裂破壊 例 舟石、あるいは烏帽子石、手形石などの転落地形 などがそれに当たります。
終わりに  (^_^)v
 これで最後にしますが、以上を、まとめていえば、阿武隈の山・川は、面白いですね。
 房総の山・川と主題は全然違うが、面白さは変わらない。
 こっちの方が、主題が、隆起準平原だったり、周氷河地形だったりして、全日本的で一般受けして良いかも知れない。
地形の案内書を書いたら、意外性があって、凄く面白いと思うんだが・・・山低きが故に卑しからず、ですね。

 しかし、誰からも賛同を得られず、一人、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」と負け惜しみの定番を言いながら、やるっきゃないということにも、なるかなあ。(^_^;)
 <参考文献>
◇ 防災科学技術研究所(2004) 防災科学技術研究所研究資料 第247号 地すべり地形分布図 第18集「白河・水戸」.防災科学技術研究所.
◇ 飯田 毅(2003) スパッと割れた巨大な奇岩「太刀割石」.茨城県自然博物館 A・MUSEUM (38):1.
◇ 池田 碩(1998) 花崗岩地形の世界.古今書院:206p.
◇ 磯部一洋(1991) 花崗岩山地における侵食と崩壊ー茨城県高萩市・十王町西部の例ー.地質調査所月報 第42巻4号 p175-197
◇ 早川唯弘・三島正資(1997) 茨城県多賀山地の侵食小起伏面と崩壊の分布. 茨城大学教育学部紀要(自然科学)46号(1997).1-19
◇ 鈴木隆介(2000) 建設技術者のための地形図読図入門 第3巻 段丘・丘陵・山地
◇ 里見庫男(2005) 阿武隈隆起準平原に於ける残丘の分布と地質との関係。里見庫男:『阿武隈高地の地形ー自然環境へのアプローチ』(私家版) p10-14. 
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 自分のやるので無い観察会に冷やかしで付いて行ったら面白くなってしまった。というのが実情です。
で、もう一度行きたいんだけど、自発的にはなかなか、行かないなあというところです。
 それで、牛に引かれて善光寺参り 作戦。
 現地で実物を見たいとか、別の見方・解釈があるはずだから、討論したいとか・・・そんな物好きな方がおられて、案内者・ガイドとして来てほしい、というようなことがありましたら、行く理由ができるので、大歓迎です。お声をかけてください。 メールのあて先は、上にあり。博物館退職して暇だし。
 団体なので、下見をしなきゃあね というような場合はもっと歓迎。・・・下見のときに、やりのこしの計測などもしたいし。

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