| 2005年友の会滝めぐり観察会・神流川、両神山の滝 まえおき 対象地域の主な山 <現地資料>+追加コメント |
|
![]() ![]() |
|
| 地質ブロックダイヤグラムに加筆 | |
| 御荷鉾山 (東西御荷鉾山、オドケ山) |
|
| ● 山登り屋さんから見た概要 ・・・日本山岳会編 2005年 『日本山岳誌』 より引用: 『御荷鉾山 みかぼやま 西御荷鉾山 標高 一二八六m東御荷鉾山 標高 一二四六m 別称 三株山 多湖の嶺(西御荷鉾山) 通常、東御荷鉾山と西御荷鉢山をあわせて御荷鉾山と呼ぶ。東御荷鉾山は群馬県藤岡市と多野郡鬼石(おにし)町、神流(かんな)町(旧万場町)に、西御荷鉾山は藤岡市と神流町にまたがる。南の神流川水系と北の鏑(かぶら)川水系を分ける東西に延びる分水嶺上にあり、東御荷鉾山頂と西御荷鉾山頂との距離は約二・一km、その鞍部に投石峠、東御荷鉾山の東肩に石神峠があって、ともに南と北の集落を結ぶ道が越えている。 古くは東御荷鉾山と西御荷鉢山、西御荷鉢山の西約一・八kmにあるオドケ山(一一九一m)の三峰をあわせて御荷鉾山と呼び、最高峰の西御荷鉾山を不動岳、東御荷鉾山を釜ふせと呼んだ。 東・西御荷鉾山ともに全山 登路 神流町万場から気奈沢川沿いの車道を御荷鉾スーパー林道に達し、林道との三叉路付近から西御荷鉾山、投石峠、東御荷鉾山を経て石神峠付近で、再びスーパ ー林道に合わさるルートがある。 石神峠からは法久集落を経て神流川沿いの国道四六二号の法久バス停に下る(スーパー林道の西御荷鉾山登山口から五時間三〇分)。 地図 五万図 万場 二・五万図 万場 (山田哲郎)』 ● 地質と山容 上の文の、「東・西御荷鉾山ともに全山秩父古生層からなり」は誤りで、三波川変成岩帯の御荷鉾変成岩からなっている。 オドケ山は、秩父系北帯の万場層群で、頂上の根本にチャート層が周っている。・・・下図参照。 御荷鉾変成岩は植野でべた用に、透水性が高く+岩石が硬い岩石なので、谷ができにくく、高い山を作る傾向にあり、 神流川推計の分水界をつくており、また、山容も尾谷の好く兄平滑な大きな山を作っている。 |
|
![]() オドケ山より4KM北東方向より望む。5万地質図「万場」を、国土地理院50M標高データとカシミール3Dにより立体化して作成したもの |
|
| 赤久縄山 | |
| ● 山登り屋さんから見た概要 ・・・日本山岳会編 2005年 『日本山岳誌』 より引用: 『赤久縄山 あかぐなやま 標高一五二二m 群馬県藤岡市と多野郡神流(かんな)町(旧万場町、中里村)にまたがり、この山域の主峰である。 「赤」とは闘伽(あか)(仏に供える水)または赤土のことで、「久縄(くな)」は嵓(くら)の転訛で、大きな岩場をいい、山頂から東側にある白鳥岩がそれに当たると伝えられる。この山の森林は江戸幕府の御用炭焼き場であった。 登路 多野都神流川流域開発として山々を結ぶ御荷鉾スーパー林道が一九八三年に完工した。この林道は山頂の北側近くを通過しているので、山頂直下まで自動車が利用できる。徒歩の場合は神流町万場から栗木平・赤久縄山登山口を経て山頂まで四時間二〇分。 地図 五万図 万場 二・五方図 神ケ原 (祖父川精治)』 ● 地質と山容 「山体は大部分が石灰岩からなる。」は、間違い。 石灰岩とチャートの層が山頂の峰下部に一部あり、山頂の峰は秩父系北帯の上吉田層 砂泥互層ですが、破砕された岩石で、透水性もあり、岩体としての強度が低い岩石です。分水界としては、なだらかな平頂峰をつくります。 石灰岩とチャートがあると、硬岩として働きます。 この山の場合、峰の根本WP周るように分布していて、その影響で、中心の部分が保護されて高くなっていると解釈されます。 (地質鳥瞰図) ・・・・より望む。5万地質図「万場」を、国土地理院50M標高データとカシミール3Dにより立体化して作成したもの |
|
| 稲含山 いなふくみやま 標高 一三七〇m 群馬県甘楽(かんら)郡下仁田(しもにた)町と甘楽町にまたがり、兜形の山姿を見せている。この山から発生する雷雲はたちまち大きく広がって雷雨や落雷の被害を与え、恐怖の山として崇拝されてきた。八合目の稲含神社は上野国一宮貫前神社の摂宮で、祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)。天竺から飛来したときに稲穂をロに含んでいたことから稲含大明神にちなむと伝えられている。 山体は秩父古生層で、山頂部は硬いチャートからなる。 登路 五月三日が山開きで、稲含神社と秋畑稲含神社の例大祭が行われ、この地方の人たちでにぎわう。甘楽町側の登山口、那須から山頂までの間には、いこいの広場や遊歩道が設けられ整備されている(三時間)。下仁田町側は茂垣を経て鳥居峠まで車道、鳥居峠から一時間で山頂。 地図 五万図 万場 二・五万図 下仁田 神ケ原(祖父川精治) -------------- 城峰山(じょうみねさん) 標高一○三八m 別称 石間(いしま)ヶ岳 城(じょう)山 高峯山 安房(あふさ)山 埼玉県秩父市(旧秩父郡吉田町)と皆野町、児玉郡神泉村との境にあり、秩父盆地の北端に位置し、奥秩父や西上州の山々の展望に優れている。山名は山頂付近に古城があったことによる。平将門の弟、将平の城跡という。 山頂直下には城峰神社があり、昔は修験道の道場があった。古くは城峰、武甲、日原を巡る修験の道もあったという。お犬信仰があり、上州や信州にまで講があった。日照りの年には近在から雨乞いのお水を借りに来た。石間、阿熊、日野沢の集落は、皆この山から流れる水の恩恵を受けている。 地質は古生代のチャート、輝緑凝灰岩で各種の植物が豊富。山麓にはフクジュソウの自生地、セップンソウの群落地があり、山頂付近の岩場にはミツバツツジ、チ チブドウダンツツジを見ることができる。天狗岩のムカデランは県指定の天然記念物になっている。城峰神社の近くには植物園がある。 ------------------- ------------------ 父不見山 ててみえずやま(ててみずやま) 標高一〇四七m 別称 三角山 長久保山 ザル平 埼玉県秩父郡小鹿野(おがの)町と群馬県多野郡神流(かんな)町(旧万場町)にまたがる。山名は、平将門の子が父を捜し求める話、群馬県側からはこの山に遮られて秩父が見えないからなど、諸説がある。 山頂は二峰に分かれ、東峰が父不見山、三角点のある西峰は長久保ノ頭、ザル平ノ頭、三沢山ともいう。父不見山は山域一帯の草刈り場の総称で、秩父側では寺平山とも呼んでいた。古くは近在の村人が元旦に寺平の摩利支天へ登って五穀豊穣を祈った。南麓の寺平は、空海が東国の高野山にしようとされたという伝説の地である。登路 長久保の林道をつめて、登山道を少し登ると杉峠。ここから尾根道を辿って山頂へ(長久保口から約二時間四○分)。山頂から長久保ノ頭を経て尾根を西に辿れば坂丸峠に達する。 地図五万図万場 二・五万図万場 (飯野頼治) ---------------------- ---------------------------- 叶山 かのうさん 標高九六一m 別称 叶嶽 群馬県多野郡神流(かんな)町(旧中里村)にある。『多野郡誌』に「叶山 大字神ケ原の東南に屹立する名山にして満山石灰岩より成る。 (中略)山頂に琴平祠あり。嗣前に三角点あり。海抜千十五米とす。」とあり、平将門が戦勝を祈願して「大願叶山」と祈ったことから、叶山と呼ばれるようになったという伝説がある。 叶山と二子山北稜に囲まれた擂(すり)鉢状の窪地にかつて人が住んでいた叶後(叶城)(かのうじろ)があり、昭和五〇年代まで神流川沿いの宮地から叶後を経由するコースや、北西麓の瀬林(せばやし)から登るコース、埼玉県側の魚尾道(よのおみち)峠から叶後を経由するコースなどが歩かれていた。秩父セメントによる開発工事が一九八〇年から始まり、採掘した石灰石を秩父市まで輸送するため、総延長二三kmの長距離ベルトコンベアラインが地下に設置されている。現在、山頂一帯は大きく削られ三角点や石祠は山頂の南端に移されている。 登路 叶山は登山禁止となっているが、神ケ原(かがはら)から神流川をへだてた対岸にある立処(たとろやま)山(七三〇m)は叶山の展望に恵まれている。古鉄橋バス停から立処山まで約四〇分。 地図 五万図 万場 二・五万図 神ケ原 両神山(岡田敏夫) ------------------------------------ 両神山 りょうかみさん 標高一七二三m 別称 八日見山 竜神山 竜頭山(りょうかみさん) 鋸山 埼玉県秩父郡小鹿野町(旧両神村)と秩父市(旧秩父郡大滝村)にまたがり、険しい主稜は上武国境の県界尾根へと延びている。山頂からの展望は三六〇度さえぎるものがない。 山名由来を「新編武蔵風土記稿」にみると、薄(すすき)村と小森村(現小鹿野町)は山頂近くに両神明神社と両神権現社を祀って伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀るゆえに両神山と称し、河原沢村(現小鹿野町)では、山頂の北、東岳と西岳の間に竜頭神社を祀り八日見山という。八日見とは日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のおり筑波山に登り、この山を八日見ていたと述べたとの所伝を元にしている。また竜神社を祀るので竜神山ともいう。 このことについて木暮理太郎は、「両神山は竜神山(りゅうかみさん)もしくは竜頭山(りゅうかみさん)であって、伊弉諾・伊弉冉は関係なく竜神を祀ったのが正しい。竜神が両神となり、ここに伊弉諾・伊弉冉を奉祀したものであろう」と述べている(『山の憶いい出』下巻)。 鋸山の名は山頂部を指して呼んだものであろう。役小角が開いたという伝承があり、修験の山、信仰の霊山として栄えてきた。江戸時代には一般人も講を組織して登るようになった。眷属としてのお犬信仰は、盗賊・火難除けの山犬を貸し出したのは三峰山よりも古く、この犬を借りるものが多かったので守護札として配符したのが今につづき、両神、御岳、竜頭の各社で配付している。 表参道の山頂部には両神神社と御岳(おんたけ)神社が祀られている。両神神社の里宮は表参道口の日向大谷(ひなたおおや)にあり、山頂の剣ケ峰の小社は奥社である。神仏習合時代は観蔵院と呼んで、安中(あんなか)の天照寺という修験の寺に属していた。御岳神社の里宮は浦島にあり、寺号を金剛院といい、越生(おごせ)の山本坊の配下にあった。金剛院順明(じゅんみょう)は木曾御岳山を普寛行者(ふかんぎょうじゃ)とともに中興して両神山に御岳信仰を広めたが、明治の 神仏判然(分離)令で両社ともに本来の神社に戻った。また竜頭神社の里宮は尾ノ内に、奥社は主稜に祀られている。竜神は水の支配者であり、雨乞い信仰の神として崇拝され、尾ノ内沢の油滝(あぶらたき)は雨乞い場であった。 両神山を形成する主な岩石は、古生層のチャートと粘板岩である。チャートは硬く風化されにくいので険しい尾根や絶壁を作り、谷間では中津峡に見られるような深い峡谷をつくっている。 江戸時代には平賀源内が、この山塊で石綿を発見し金山開発にも着手した。近代になると主に鉄鉱石の産地として繁栄した時期があった。露岩が多く土壌が浅いので、下草には独特の植物相が見られ、牧野富太郎もも採集に訪れている。なお、両神山を代表する植物はヤシオツツジである。 ニホンカモシカの生息地であるとともに、以前はワシやタカが舞ぅ姿を見ることもあった。江戸時代までは御巣鷹山があり、日向大谷白井差の鷹見衆が幕府にタカを献上していた。清滝(きよたき)小屋の付近はブッポウソウの営巣地である。 登路 登山道は旧両神村の日向大谷から薄川沿いに観蔵院~会所~清滝小屋~両神神社を経て山頂に至る表参道ルート(三時間三〇分)、秩父市(旧大滝村)日窒鉱山の上落合橋から八丁峠に登り、岩稜伝いに西岳・東岳を経て北から登るルート(四時間)・小鹿野町の坂本から八丁峠に登り上落合橋からのルートに合流するルート(五時間)がある。 国土地理院の地図、古いガイドマップ、ガイドブックには、白井差からのルートを記載しているものがあるが、このルートは二〇〇一年以後廃道となっているので注意を要する。 地図 五万図 万場 二・五万図 両神山 (飯野頼治) ------------------------------------------------------------------------- 二子山 ふたごやま 標高(西岳) 一一六六m 別称 東岳・西岳 子ノ鼻 埼玉県秩父郡小鹿野(おがの)町と群馬県多野郡神流(かんな)町(旧中里村)にまたがる。古生代の石灰岩からなる岩峰は、高さ一五〇m、全長一六〇〇mにも及ぶ。 山頂部は名前のとおり、股峠を挟んで東岳(一一二六m)と西岳とに分かれている。かっては狭い股峠へ両側から熊を追い上げて落とし穴で捕らえたという珍しい熊猟があったという。 山麓は「山中地溝帯」と呼び、中生代白亜紀の地層である(*)。二枚貝、三角貝、アンモナイトなどの化石を多く産する。石灰岩にはフズリナを含み、純粋の方解石の産地としても知られていた。また二子山に近い群馬県側からは恐竜の足跡の化石が発見された。植物には石灰岩と結びついた特殊なものが多い。 西峰が登山の対象で、その南壁が垂直の岩壁になっており、クライマーのゲレンデとして人気がある。なお、ローソク岩はロッククライミングの経験がある人ならば登ることができる。 登路 小鹿野からのバスの終点である坂本で下車。登山口から仁平沢沿いに進み、急な登りで二峰の鞍部股峠につく。東峰は岩場に慣れていない人は避けたほうがよい。西峰へは直登の道もあるが、右から回り込んで登ると展望の開けた山頂に立つことができる(坂本からニ時間)。山頂からは谷を隔てて両神山が間近に迫る。下山は石灰岩の痩せ尾根を行き、魚尾道峠から坂本に戻る(西岳から約二時間)。 東側の長沢からのコースは、交通の便が悪く、あまり利用されていない。コースの途中には、昔、姥捨て場だったという岩庇がある。 地図 五万図 万場 二・五万図 両神山 (飯野頼治) ------------------------------------------------ 秩父御嶽山 ちちぶおんたけさん 標高 一○八一m 秩父御嶽山は三峰神社北部の山峡を蛇行する荒川上流、埼玉県秩父市(旧秩父郡大滝村落合)の普寛神社の背後に立つ峰である。 秩父市大滝と小鹿野町(旧両神村)の境をなして、ほぼ東西に走る稜線の一角を占めるピークだが、山名は木曾御嶽山王滝口登山道を開いた普寛が落合の地に生まれたことに由来し、普寛の開山と伝えている。普寛は三峰山に修行し、江戸に出て文武両道に精進したのち再び三峰に入山。寛政四年(一七九二)、それまで精進潔斎が厳しく一部行者だけの世界であった木曾御嶽山に入るが、尾張の覚明が黒沢口を開いたのにつづき、迫害を受けながらも王滝口から登って軽精進の一般人を登拝させることに成功した。落合の普寛神社はこの大衆登山の先駆者を神として祀り、現在も子孫の木村普侯師が伝統を受け継いでいる。 登路 普寛神社からすぐに山に取りつき、きよめの滝、行場平、夫婦岩を経て稜線に達し、御嶽大神を祀る頂に立つ。展望に恵まれた山頂からの下りは杉ノ峠を経て強石(こわいし)か、タツミチを経て、秩父鉄道終点の三峰口駅に至るのが一般的(約三時間五〇分)。ほかに山頂から北へ小森川の大谷(おおがい)に下る道もあり、カタクリやエンレイソウの花が見られる(約四時間)。 地図 五万図 三峰 二・五万図 三峰 (伊佐九三四郎) ------------------------ 武甲山 ぶこうさん 標高一二九五m 別称 秩父嶺(ね) 秩父嶽(ちちぷがたけ) 御嵩 嶽山 秩父山 蔵王山 妙見山 乳首山 埼玉県秩父市と秩父郡横瀬町にまたがり、秩父のどこからでも望むことのできる唯一の山。秩父の象徴とともに、秩父人の心の支えになっている。 山名については、日本武尊(やまとたけるのみこと)が登頂した折、武具甲冑を納めたことに由来するというのが通説である。その他に、武光の荘にあるので武光山、武蔵第一の山、向こう山など諸説がある。 古代より山頂に熊野、蔵王の両権現が祀られていて、里人は権現さまと呼んでいた。修験の道場として、山伏たちは春と秋に登拝が定められていた。山頂の旧社殿跡は、一九七七年から「武甲山山頂遺跡」として発掘、研究されたが、山岳祭祀遺跡の数少ない貴重な調査例である。現在は山頂には御嶽(みたけ)神社の奥社、麓の根古屋(ねこや)には里宮がある。 山中には奇岩怪石が多く、雨乞い信仰の岩もあった。日照りがつづくと農民たちは里宮の神主とともに行列を作り、太鼓や鉦を鳴らしながら登って雨乞い岩で祈願した。 石灰岩の採掘は、一九一七年、石灰岩輸送の目的で 秩父鉄道が影森まで延長されたのに始まる。一九二四年には秩父セメントが操業を開始。戦後の高度経済成長期には採掘が進み、一九七五年、山頂の御嶽神社を約八〇m下に移した。 武甲山は、古生代に海底で堆積した地層が隆起してできた山で、中心は硅板岩や輝線凝灰岩、その上を石灰岩が覆っている。各所に懸崖、洞窟、鍾乳洞などを見ることができる。 北面の標高一○○○m付近に自生する植物群落は、「武甲山石灰岩特殊植物群落」として国の天然記念物に指定されている。近年はチチブイワザクラなど絶滅に近いものが出てきた。 登路 登山道は根古屋からの表参道、浦山口から登る橋立コースなどがあり、浦山の武士平から小持山を経て登るコースもある。かっては西参道と呼ばれた宇根からの裏参道もあったが石灰岩の採掘で消滅した。表参道の出発点は西武秩父線の横瀬駅。根古屋から生(うぷ)川沿いの車道は山間に入ると未舗装路に変わり、鳥居前に到着。対岸へ渡り、養魚場を過ぎると登山口(横瀬駅から約二時間)。ここから本格的な登りにかかる。丁石や巨杉などが参道の古い歴史を伝えている。急な階段を登って武甲山の南の肩に着く。浦山口と小持山からのコースと合流した後、わずかの直登で山頂へ(登山口から約二時間)。御嶽神社の裏手には二つの展望台がある。眼下の採掘現場には興をそがれるが展望は良好。橋立コースは秩父鉄道浦山口駅から。左に橋立鍾乳洞の大岩壁を見てしばらく橋立川沿いの林道を登山口まで進む。登山道に入り、急な登りで尾根に達した後、緩やかな尾根道を行き、長者屋敷ノ頭に出る。一度尾根から離れて登り、表参道と出合い山頂へ(浦山口駅から約三時間三〇分)。 地図 五万図 秩父 二・五万図 秩父 (飯野頼治) |
|
| <追加説明> |
|
| <現地アルバム> 石井良三氏作成原本より編集転載。画像は石井氏撮影提供。 | |
|
|
| 2005滝めぐりおしらせ02へ HPトップへ 滝を観るHP(別HP)へ |