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滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録(短報)
 福島県本宮市長屋 鼓石(短報) 2013年05月訪

図1  鼓石
鼓石 高さ2.5m、横幅8m、奥行き3.5mもある大きな花崗岩コアストーンの破片。
斜面から転落して、谷底平野上に乗っている岩塊
側面(画面左側)は、人工的に切り取られています。
人型(驚子さん)は、1.6m。車は愛車ベリーサ
<発端と結果>
 千葉から、近県の花崗岩巨石を見てまわっています。 阿武隈山地西部、阿武隈花崗岩の低い丘陵性山地の巨石を廻った際の一つ。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から情報をもらいました。この鼓石もその一つです。
 いかにも転落した岩塊らしく、堆積後、石材として利用されているという所にも興味を持って訪れてみました。
 なかなか巨大な石で、地学的にいろいろ曰くありげです。しかし、転落してきた岩塊が半分しか残っていませんので、落ちる前はどんな形をしていたのか復元できないなど、この巨石の生い立ちを、復元するには材料不足なのは残念です。
 通り一遍で済ましてしまいましたので、再度見に行きたい岩です。なんだかよく分からない部分があります。
 あと、この岩塊の所在する旧白沢村には、他にも石がありますし。
  <位置と到達ルート>
 
 図2  鼓石位置と周辺の地形分類図

  2.5万地形図 「岩代本宮」

 位置 N37°31′21.41″ E140°28′31.08″

 標高300〜310m

 地図で示すように、長屋神社からはやや離れた所にあり、案内板等はありませんが、道を車で流していますと、遠くから石の姿が見えます。

 車で、石の前まで簡単に行けます。
 
 阿武隈・北上山地の地形の特徴である、浅い短い谷底平野に、ぽつんとこの石が乗っています。

 周辺は、いかにもな阿武隈山地の小起伏面です。

 花崗岩のマサでできた砂山のなだらかな孤立丘がぽこぽことあり、間を短い幅広の谷が入っています。

 丘の周りは、山麓緩斜面になっています。

 周りの景観は、山は、里山の森林、山麓緩斜面は、集落と畑、谷底は水田や用水池。
 
図3 鼓石のある谷底平野の景観を見る。下流側から。

谷底は幅広く、水田化。山は山裾に山麓緩斜面を持ち緩傾斜で、谷ひだがない花崗岩マサの山。
孤立丘をなす。阿武隈山地の小起伏面の典型。
 
 図4 鼓石のある谷底平野の景観を見る。上流方向。
水源稜線が高くなく、ただの孤立丘間の鞍部です。
  <立地と形態>
 「鼓石岩塊群」とします。01:鼓石と、02:無名、径1.8mほどの2つがあります。
 小さな尾根の先端部分に、01、その脇に、02があります。
共に、根石ではなく、異地性の浮き石で、脇の斜面から転落してきたものと思われます。
 
図5 鼓石岩塊群 下流側から望む。 手前が02、奥が01。
 
図6 鼓石 谷底平野の反対側から望む。
図7 鼓石と山との関係 

 明らかに平野に乗った浮き石で、もともとは、すぐ上の比高10〜20mほどの山の上にあったのが、斜面を転落してきたものと、推定されます。

 今ある場所が、山の斜面からはちょっと離れていますし、岩塊の周囲は露出していて、山側も埋まっていませんので、滑ってきたのでなく、転落してきたのでしょう。

 浜田氏によると、鼓石は、もとは2つあったのですが、、江戸時代末に、近くの長屋神社の鳥居や柵の石材として、もう一つの巨石と、鼓石の一部を切って、使ったということです。

 使ってしまったもう一つの石の跡は、見当たらず。

 落ちてきた元の、山の斜面も未調査。
鼓石岩塊群01 鼓石

高さが2.5m、横幅が8m、奥行きが3.5mもある大きな花崗岩の岩塊です。
 浜田氏によると、石の名前のいわれは、叩くと鼓のようによく響く音がするためとのこと。

図8 北側側面 W3.5m 人工カット跡

図9  西側側面 h2.5m W8.0m
 
図10 鼓石(01岩塊) 展開図
  地上に出ている表面は、地中にあって、マサの中に埋まっていたコアストーンであった時に、作られていたコアストーン球面・平滑面の表面をしています。
 底面は、転落時に割れた破断面のようです。
 なかなか巨大な石で、地学的にいろいろ曰くありげです。
 特に、普通の花崗岩巨石と比べて長さが長く、転落前の時、地中に埋まっていた時のコアストーンの形を復元できれば面白いのですが・・・・このような長柱状のコアストーンは例が少なく、同じ本宮市にある岩角山山頂の神体石岩塊群などに例があるだけです。
 しかし、転落してきた岩塊が半分しか残っていませんので、落ちる前はどんな形をしていたのか確実には復元できないのが残念です。
 
 図11 02岩塊スケッチ

 鼓石岩塊群02

 直径1.8m高さ1.5m程の球状のコアストーン球面が見えます。地中の部分まで、球形なのかは未確認。
 多くの場合、破断面で真ん中から割れていることが多い。


 <鼓石岩塊群の成り立ち>

 転落礫なのは明らかですが・・・

 転落元や元の形など未調査。

 <歴史資料>
 
 
 図12 長尾神社 鳥居と柵が見える
 小起伏の花崗岩分布地帯では、山を作る花崗岩は、山の芯までマサ化してしまい、岩盤の出ている所がなく、花崗岩石材に乏しい場所となっています。

 近代以前、江戸時代には、重量の重い石材が利用しにくかったですので、地元山のマサ中に散在する未風化花崗岩コアストーンを、地元の石屋が採掘、加工して利用していました。

 近代化以降、石材の流通が広がると廃れてしまいました。コアストーンは地表では風化しませんので、材質としては良い石材でしたが、量も少なく、運搬手間も掛かりますので・・・。

 この鼓石の石材利用は、近代以前の花崗岩コアストーンの地元利用を示す典型例だと思います。
  

図13 長尾神社の石鳥居
 鳥居の銘文  弘化三丙午年(1846年)八月吉辰

図14  長尾神社の石柵
 記録アルバム

 鼓石から安達太良山
鼓石で、一息入れて、谷を見下ろしますと、5月の残雪が光る安達太良火山の峰が並んでいました。
 和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山  ほんとうに故郷の山という感じです。
 
長尾神社前から、谷底平野と低い山を越えて、安達太良山を望む。
 (以上)
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