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滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録
 宮城県丸森町筆甫(ひっぽ) 経石(きょういし) 2013年10月訪

図1 経石 長径7m 高さ3.5m 人型(驚子さん)は165cm
<発端> 
  花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
  立地と新規の割れ目が面白そうだったので訪問しました。
  画像は谷の下流側から、経石の南面と南西面をみた画像。画像の人型は、驚子さん。身長165cmのつもり。節理起源の5角柱形。移動孤立岩塊です。袈裟懸けの新規割れ目が目立ちます。
  宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)の道路脇、経石公園に所在。
  東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」
 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらっています。この経石もその一つです。
さらに、そこから、丸森町とその周辺の巨石について詳しい情報のある「丸森の巨石伝説」HP
http://zuiunzi.net/igu/  村上明秀氏作成)へ辿り着いて情報を得ました。

  阿武隈山地北部、低い花崗岩山地の侵食谷谷底低地にあります。
 長径7m短径5mほどの略五角柱形で、高さ3.5mほどの花崗岩のコアストーン巨岩です。
 先に、経石の立地と成因の観察結果をまとめていいますと・・・、
(1) 経石の立地地形 面左奥にある、枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めた地形です。
(2) 経石の成因 枝尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべり堆積面上で止まったものです。
(3) 形態 露出後の風化破断がほとんど無く、地中にあったコアストーンのままの形をしていると思われます。
図2 経石位置図 
<到達ルート> 

 位置は地図に示す赤丸・・・・・国土地理院2.5万地形図「霊山」に記入。
 車で、すぐ脇まで簡単にいけます。

経緯度 北緯37度49分28.70秒 東経140度42分15.64秒 (世界座標)。
 大体の位置 ↓
 
<こんな石があった:立地>
図3 地形地質図 
 阿武隈山地北部に位置し、低い花崗岩山地の侵食谷谷底にあります。
 あたりの地質を、国土地理院2.5万地形図「霊山」に記入。
 図3参照。赤丸が経石所在地。桃色が、地質は白亜紀の阿武隈花崗岩、地形は、大部分マサ化した低い山地と山麓緩斜面 。
 茶色が、玄武岩等の火砕岩と熔岩の霊山層。花崗岩より一段高い山地になっています。
 黄色が沖積層。侵食谷の谷底で、水田化されています。
 経石は、桃色と黄色の境界にあります。
 ただし、20万地質図と、道路沿いからの見た目で作りましたので、図3の地質境界位置は大体こんな所かなという適当な引きです。(^o^)
 地図の西から伸びている枝尾根の先端が地すべりを起こして、谷底を埋めていますので、地質図で沖積地が途切れています。

経石周辺の微地形
 
 図4 北側から見た経石と周辺の地形 
 
図5 南側から見た経石と周辺の地形 
 図4・図5に、経石周辺の微地形を示します。
 結論を言いますと、小さな地すべり地形です。
 図4は、落ちてきた地すべり堆の上から下流方向を見た景観。
 図5は、地すべりの下流側から見上げた景観。
尾根の先端部の崩れなかった斜面には、コアストーンの立石が立っています。
 図4の看板の右手がスプーンでえぐったように掘れていて地すべりの崩落崖です(図6にも示しました)。
看板から左手の緩斜面地形が地すべりで辷ってきて止まった物質でできた堆積地形(地すべり堆)です。
 経石は上部にあったものが、右から辷り落ちてきて、緩傾斜になった所で止まったと思われます。
   
図6 地すべりの崩落崖   図7 地形の概念図
 図7に、この地すべり地形の概略断面図(上)と平面図(下)を示します。図の上方が磁北・・・あまり厳密でない (^_^;)。断面は、尾根先端地点Xから、地すべりの流下方向に沿った断面。
 西から延びてきた枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めている地形です。
 その尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべりの堆積面上で止まったのが経石。
   
図8 斜面上のコアストーン  図9 斜面下山裾の転落岩塊群 
 尾根の先端部の崩れなかった斜面に残っているコアストーンの立石は、半分に割れていて、その割れた部分の転落岩塊らしき平石群が山裾にあります。
 このように縦に半分に割れるのは、急斜面に立っているコアストーンではよくある形。
<こんな石があった:形態>
図10 経石の形態

 図10に、経石の形を展開図にして示します。
 経石の形は、ほぼ五角柱で、角は全て丸みを帯び、表面は滑かで、新鮮な割れ目がありません。つまり、全面が風化した丸みを持っていて、地中で風化したコアストーンが露出していると思われます。
 一般に、コアストーンの形は、地中で風化し、節理面によって大まかに分離した後、さらに風化が進み節理面の平滑さが無くなり、全体に球形や鏡餅形にまでなっていることが多いと思います。特に小さなものはその傾向が強いようです。
 しかし、経石の場合、丸みを帯びたコアストーン球面の部分は西面のみで、他の4側面と上面は、節理面に沿って割れた平滑面(節理破断平滑面ということにします)がまだよく残っています。この破断面は、稜が丸くなっていて、地中にある段階で節理面に沿って開口分離した面です。勿論、地表に露出した後にできた面ではありません。
 それとは別に、各面には、岩塊として露出した後にできた新鮮な割れ目が見られますが、割れ目が入っただけで、まだ、動いていません。これらの新鮮な割れ目は、細かい凹凸があり、割れ目の表面形が曲面になるなど、節理面に沿った割れ目とは違った形になっています。
図11 経石の南西面
 南西面と袈裟懸け新規割れ目

 図11 経石の南西面です。
 側面は、節理破断平滑面。上面は全体的には平滑で節理破断平滑面ですが、こちら向きの部分だけはかなり丸みを帯びています。
 側面を袈裟架けに割っている新しい割れ目が目立ちます。この割れ目は、展開図で追跡しますと、石の全周を廻っていて、すでに石の中心も割れているのかもしれません。

  このように袈裟架けに割れている石の例は、割れ口の平面が傾斜方向を向いて割れ、巨石の割れ方としてはよく見られます。
 作図した例をあげます。下は山梨県山梨市の石森山の山頂にある石の例。両方とも割れて落下している例。
   
 図12 石森山山頂、岩塊19の斜めの破断形  図13 石森山 琴比羅社石の斜めの破断形
図14 経石北面・北東面・西面
 経石の北面(正面)と北東面(左)と西面(右)

北東面と北面は、面が平滑で節理破断平滑面。
西面は曲面で、コアストーン球面。
上面は、周辺は丸まっていて、コアストーン球面に近いですが、概形はほぼ平坦で、節理破断平滑面。
 移動方向の側方に当たり、画像の右方向からすべってきました。
 図15 経石の西面
  経石の西面
箱尺は3m。
西面は不規則な曲面で、コアストーン球面。
上面の平坦さがよく分かります。

辷ってきた方向の上流側から見ています。
 もしかしたらですが、コアストーン球面が辷ってきた方向の面で、他の面が全て節理破断平滑面であることに意味があるかもしれません。.

・・・本来はもっと大きなコアストーンで、節理面で既に開口していたのが、落ちてきた所で、コアストーンの他の部分は止まらずに、もっと下へと辷ってか転げてかして、行ってしまった・・・とも考えられるかも。

 動いてきた巨石の事例を見直してみると面白いかも。
 図16 経石の南面
  経石の南面
箱尺は4m。
節理破断平滑面です。
移動方向の側方に当たり、左から右へ辷ってきた。
   立地
 標高410m付近にあり、山地地形面は阿武隈山地の低位小起伏面にあたります。・・・・形成期は、更新世初期。

・石の上部斜面は、スプーン状にえぐれた地すべり跡状の斜面で、コアストーンとして、当初露出していた場所は、丘陵性の山地の標高420〜410mの小さな尾根稜線と思われます。・・・図参照。
 <解釈:成因:当初の復元→変化史 変化の原動力> 

 経石の立地と成因の観察結果をまとめますと、
(1) 経石の立地地形は、図7のように、枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めた地形です。
(2) 経石の成因は、枝尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべり堆積面上で止まったものです。
(3) 形態については、露出後の風化破断がほとんど無く、地中にあったコアストーンのままの形をしていると思われます。
(4) 露岩となって以後の、重力に対応した新規の割れ目が入っていて、斜めに真っ二つに割れようとしています。

 花崗岩巨石の類型の中で位置づけますと、立地・成因の面では、以前紹介した、滝川村破石の破石や花巻市谷内の胎内石、遠野市綾織の続石)などと同じく、地すべりによる小移動により、花崗岩コアストーンが露出したものとまとめられます。
 ただし、露出後の風化重力破断により、破壊されている程度でいいますと、経石は全く壊れていない例で、破石は2つに破断している例、胎内石や続石は破壊が進んでいるがまだ原形をとどめている例といえます。

 新規の割れ方については、事例集め中。
 <どのように利用されているか:歴史資料> 
図17 解説看板

 経石周辺は、地元の方々の手になる手作りの公園「経石公園」となっています。
 看板には、経石の伝説が書かれていました。
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経石 (きょういし)
 むかしむかし、ある日の夕暮れどきのこと、鎧石から赤坂を越えて一人の行脚僧が平松に入りました。お坊さんは、村人達が集まり念仏講が行われている家に招かれ、一緒になって幾日も念仏を唱えていました。
 しかし、お坊さんは、また旅に出なければならなくなり、村人たちが必死に引き止めたところ、「私のお経は赤坂の大石に伝えておきます。私のお経が聞きたくなったら、あの大石に耳を当てると良い」と言い残し南の方に旅立っていきました。その後、言われたままに大石に耳を当ててびっくり、行脚僧の言ったとおり、お経が聞こえてくるではありませんか。
 今も、この大石に耳を当てると念仏のような音が聞こえてきます。
 平成十九年十一月  平松経石保存会
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 後述、説明看板に出てくる「鎧石」「赤坂」は、図2の北西隅の集落と峠のようです。

 「丸森の巨石伝説」HP http://zuiunzi.net/igu/ によると、他の巨石には、地誌類に記載されたものが多いのですが、経石については、地誌類には記載が無いとのことです。
 また、図2からいいますと、経石は、平松集落の「ノラ」と「ヤマ」の境にあるとも言えます。
<アルバム>
    経石と付近の地形

 駐車したベリーサと一緒に収めた画像。
 (以上)
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