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滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録
 奈良県山添村菅生 あたごさんの巨石 2014年09月訪

図1 あたごさん全景 ゴジラの背中のトゲみたいな、花崗岩離れした特異な形の巨石 人型(驚子さん)は165cm

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、各地を回っています。
最近、奈良県の花崗岩分布地を廻ってきました。
「山添村イワクラMap」というパンフの写真に惹かれて、菅生の「あたごさん」を見に行きました。
<発端> 
 「山添村イワクラMap」に、「菅生あたごさん」として紹介されていた岩塊です。
 丘の上に露出した岩が60°位傾いて立っていて、自重で開口して3つに割れています。花崗岩の露岩地形ではあまり見かけない形なので興味を持って訪れてみました。
 現地は、大和高原地域に当たり、マサ化した低い山地を解析する谷の谷底にありました。地質は、5万地質図「上野」によると、白亜紀後期の花崗岩貫入岩体の一つで、城立(じょうりゅう・・・地名)トーナル岩(花崗岩の一種)という岩石です。
 周りはほとんど風化してマサになっていて要するに砂山みたいなものですが、そのうちに未風化の部分があり、未風化の地中塔頂部が沖積平野上に露出し、離れ島地形の小丘になっているものです。
 この巨岩の形について結論を言うと、
(1) 地中にある時から、トーナル岩の片麻構造に沿って急角度に傾いた割れ目が岩盤中にあり、傾いた節理系であった。
(2) それが、地表に露出し丘の稜線の露岩となって、周囲の岩塊が落下し、傾いた立石が形成された。
(3) その後、更に立石内に、自重による割れ目が入り、片麻構造の方向に沿って3つに裂けた。
 ・・・といえます。
図2 位置図 
<到達ルート> 

位置は、世界座標で、緯度  N34°40′19.00″経度 E136°02′29.59″

5万地形図「上野」、2.5万地形図「月ヶ瀬」図幅内。
 
右図 山添村発行5000分の1地形図の赤点の位置にあります。


国道25号沿いにあり、道路反対側に広い駐車スペースがあります。


↓ 図3 北からの全景

手前が駐車スペース。
 
<あたごさん小丘の立地>
図4 地形・地質概念図 

 図2・位置図に示すように、あたごさんの所在地付近は、低い山地と開析谷からなります。
 山地はマサ化した山地で、マサの母岩は、城立トーナル岩(三重県津市白山町城立地区を模式地とする花崗岩の一種であるトーナル岩という意味)という白亜紀後期花崗岩類です。

 あたごさん付近の開析谷地形を、北から・下流側からの画像で示します。
 中央の火の見櫓右が小丘になり、頂上にあたごさんの小祠があり、稜線に傾いた露岩があります。
 丘の右手が沖積谷底面で、白い建物が見えます。
 火の見櫓の左、国道は画面左の尾根先端を削って拡張されていて、この地形改変以前は、尾根がもっと張り出し、小丘に続いていたと思われ、下図の右のような断面だったと思われます。
  ただ、現国道の先は、上流の開析谷の谷底面ですので、あたごさんの小丘と左の尾根間の鞍部は低く、谷底面とほぼ同じ高さで、上流側から見ますと、小丘は開析谷の谷底面から、離れ島のようになっていたと思われます。
 この地形は、地質と対応していて、山地はトーナル岩が風化した未固結のマサからなるのに対し、小丘の基部周りも、岩盤が出ていて、小丘全体が岩盤です。つまり、小丘は未風化のトーナル岩からなっています。
 国道反対側の尾根には露岩がなくマサのようです。また、今国道切り通しになっている鞍部も元々低く、そこに岩はなかったと思われます。
 以上から、トーナル岩の未風化部分が、小丘地下に地中塔として存在していると解釈します。
 もっとも、周辺を全部見てマサの状態を確認したわけでありませんから、推定ですけど。
 すなわち、地下では大部分風化してマサになっているトーナル岩の中で、地中の塔状に未風化の部分があり、その頂部が谷底平野に露出し、小丘になっているものと考えらます。
 この地点が、開析谷の遷急点になっているのも、この推定と合致します・・・位置図参照。
 図5
<こんな石があった:形態>

 丘の上には、傾いて立っている角張った露岩があり3つに割れて開口しつつあります。
 花崗岩の露岩地形ではあまり見かけない形です。
 まず、根石か浮き石かといいますと、小丘の先端と側面にも岩盤が見えますし、浮き石だったら倒れてしまうほど傾いていますので、傾いて立っている露岩は根石なのは確実です。

 この岩石は、5万地質図を見ますと、白亜紀後期の花崗岩類で、城立トーナル岩となっていて、花崗岩の一種ですが、普通の花崗岩と見かけが少々違います。

トーナル岩とは・・・調べてまとめますと
トーナル岩とは、花崗岩類の一種。珪長質鉱物(白色の鉱物、石英・正長石・斜長石など)のうち石英と斜長石が多く、正長石がほとんどないタイプの花崗岩。石英と斜長石、および有色鉱物からなる深成岩。石英閃緑岩よりも石英が多いものを指す・・・とのこと。

城立トーナル岩とは、
地質図説明書の記載を引用します。・・・・、下線は筆者の蛇足
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川辺孝幸・高橋裕平・小林良二・田口雄作(1996)地域地質研究報告 5万分の1地質図図幅「上野地域の地質」 p16-17より

城立(じょうりゅう)卜―ナル岩 (Gj)
命名 端山ほか(1982)が南東隣の「二本木」図幅地域の白山町城立付近に模式的に露出する片麻状トーナル岩に命名した.
分布 本図幅地域では南端の西半部山添村管生付近に比較的まとまって分布する。南端東半部上野市上神戸上小場,青山町阿保や柏尾付近では阿保花崗岩中の捕獲岩として産する。
関係 本図幅地域南端西半部で,城立トーナル岩は,領家変成岩類の構造に調和的に貫入している。後述の柳生花崗岩は城立トーナル岩の構造に調和的に貫入している。図幅地域南端東半部では阿保花崗岩が城立トーナル岩の構造に非調和的に貫入している(第12図)。
 ・・・・領家変成岩より後に貫入し、同じ白亜紀後期花崗岩の柳生花崗岩や阿保花崗岩より前になる(古い)ということ。
岩相と構造 中ー粗粒片麻状角閃石黒雲母トーナル岩(色指数15 ― 20)を主とする。珪長質鉱物と苦鉄質鉱物がそれぞれ卓越した縞状構造(片麻状構造)が著しい。この構造は,南端西半部で走向が東―西性で北へ30°〜50°程度傾斜する。図幅地域南端東半部では構造は一定しない。後述の阿保花崗岩の貫入によって構造が乱されているのだろう。・・・下線は筆者、この岩相記載重要です。

岩石記載
 片状中粒角閃石黒雲母トーナル岩(GSJ R63456/93UNー 33, Loc.山添村上津南南西0.9km)
 主成分鉱物は径2ー4mm程度。珪長質部と苦鉄質部が2mm毎に繰り返す縞状構造が著しい。黒雲母はその構造に平行に配列する。
 主に石英(42%),斜長石(40%),黒雲母(15%)からなり,カリ長石(1%),角閃石(1%)を含む。更に褐れん石,りん灰石,ジルコンを副成分鉱物として含む.石英は波動消光をなし,しばしばサブグレイン化している。斜長石は半自形一自形で,概して均質だが,一部弱い累帯構造を示す。An 35ー40程度。
 黒雲母の多くは半自形でZ=褐色。角閃石は他形ー半自形を呈し,Z=緑褐色
年代 石坂(1969)は隣接図幅地域から本岩に相当する君ヶ野花崗岩と霧生花崗閃緑岩からジルコンのUーPb年代として,前者から87±2Ma(238Uー 206Pb)と92±4Ma(235U-207Pb)。後者から93±2Ma(238Uー206Pb)と96±4Ma(235Uー207Pb)を求めている。なおこれらの値は原著の値を新しい壊変定数で計算し直したものである。
 ・・・・白亜紀後期、という凄く古い時代のものということ。
=======引用終わり=========
 この記載を参考に、あたごさんの岩石岩相を見てみます。
 
図6 城立トーナル岩の岩相 丘の先端の露頭 図7 片麻構造に規制された割れ目 
 図6の画像は、小丘基部のトーナル岩表面を撮影したもの。
白い鉱物(白が斜長石、灰色が石英かな)と黒い鉱物(黒雲母)が、縞状(片麻構造)になっています
 さらに、東西方向北落ち30〜50°の片麻構造を持つと記載されていますが、この露頭でも50°ほどの傾斜で北落ちになっています。
 片麻構造とは、鉱物の配列の縞状構造をいうのだと思いますが、露頭で見ると片麻構造と平行する微細な割れ目がたくさん入っているのが分かります。
 さらに、それが連続して大きな割れ目にもなっています。

 この露頭で、より大きく見てみますと、この方向性を持った小さな割れ目が、大きな連続した割れ目にもなっています。→図7画像参照
 つまり、片麻構造と同一の方向の割れ目が発達する傾向があるようです。
 
 地下での節理系や、地表に露出後の重力破断割れ目は、この片麻構造に沿った岩石の弱線に沿っているようです。 つまり、片麻構造と同一の方向の割れ目が発達する傾向があるようです。
 この、片麻構造に起因する風化割れ目が発達し、同じ方向に割れ目が反復する形が、この岩石の風化形の特徴のようです。
<岩盤の片麻構造と露岩の風化形の関係>
図8 丘の断面形

 岩盤の割れ目方向と露岩の風化形の関係を示すために、小丘をこの割れ目系に平行な方向から図化してみたのが、右図です。
 小丘の基部に見える岩盤の割れ目方向と、小丘上の傾いた立石露岩の割れ目方向が同じことが分かります。
 つまり、傾いて立っている露岩は、未風化な岩石が、地中塔の形で小丘になって露出し、その頂部が丘の上に根石になって露出したものです。
 露出部分では、岩石内部の片麻構造に沿って、更に割れ目が入り、岩石が破断しているといえます。
 なお、岩の形は、東西方向北落ちの割れ目のほかに、それに直交する、南北方向・垂直な割れ目により、岩が柱状になっています。南北方向の割れ目は、直線的で節理系と思われます。


 再度まとめますと、

 岩塊の形が、通常の花崗岩類の形と違った形である理由は、城立トーナル岩の岩相と普通の花崗岩類の岩相との違いによると思われます。
 すなわち、一般の花崗岩は、組織が均質なため、地中でも垂直な節理が発達し、直方体の未風化ブロックができた後、それが周囲から風化して球状のコアストーンを作ります。その後、地表に露出すると、組織が均質なため、もともとの節理面かコアストーンの傾斜方向に割れていきます。
 一方、城立トーナル岩の岩質は、組織が不均質・片状の片麻構造を持つため、地中でも片麻構造に沿って傾いた節理が発達し、傾いた形の未風化ブロックができると思われます。その後、地表に露出すると、組織が不均質・片状の片麻構造を持つため、岩石の片麻構造に沿って重力破断割れ目が発達しやすいためと思われます。
記録アルバム
歴史資料 


・丘の頂上には、愛宕社の小祠と、3基の不動明王塔(江戸期)があります。
 
 愛車ベリーサと巨石  車の先の坂道は、十二社神社への参道。 車の止めてあるところは、広い駐車スペース。

東側・尾根側からの小丘。丘の基部も露岩で、丘全体が岩盤。
 
小丘頂上から、突出している露岩塊を見る。手前は、頂上の小祠
 
南側・谷の上流側から小丘を見る。
北側から見るのと違い、谷底からの丘の比高が小さい。
 
小丘より開析谷上流方向を見る。手前の平野が、開析谷の谷底平地。この地区の住居は、谷底低地にでなく、わざわざその側面の急な南向きの山地斜面に高い石垣を造成して作られています。
何故か?
 (以上)
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