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滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録     
  山梨県甲州市塩山上小田原 裂石  2013年4月訪
 裂石 

<観察結果>

 山地斜面地下にあった風化コアストーンが、土石流により掘り出され運搬されて、土石流扇状地(沖積錐)の扇頂部に取り残されたのち、岩塊の底面の地表傾斜が対応する形に、自重で2つに破断し、画面右の岩塊が少々滑ったもの。

 巨岩の重力破断のすばらしい事例である。

とにかくかっこいいの一語。
測量図が時間切れで作ってないのが、残念。。
 <観察>
 甲州市上萩原の雲峰寺近くに、「裂石」という地名が書かれており、そこにこの巨石が所在するのかと思っていたが、さにあらず、それより下流の、上小田原地区の旧青梅街道脇、青梅街道の番所「萩原口留番所」後の直上斜面にあった。
 花崗岩質の超巨大な岩塊で、きれいに二つに割れている。
 高さ4m、奥行き12・3m 幅8mぐらいの伏石。
伝説によれば、「その昔・・・745年6月17日に当地で修行していた行基が大菩薩山一帯の空に霊雲たなびき大地が震動し、山中にあった巨石が真二つに裂け、その割れ目から萩の大樹が生え石上に十一面観音が出現した。それを目の当たりにした行基は、崇高な心で萩の樹を切り取り尊像へと彫刻し、草庵に奉祀し裂石山雲峰寺と名付けた」と言われる

 石の成因
現地で見ると、土石流による扇状地状の地形(沖積錐)である。 甲府花崗岩からなる基盤岩内の風化コアストーンの巨大なものが、土石流で運搬されてきて、沖積錐の扇頂部に出て、水流が広がるために運ばれずに残ったものである
  裂石とその周辺の景観。 沖積錐の扇頂部にあたる。画面奥の斜面から流れ落ちてきて、止まった。
画面右側は、沖積錐が形成後、本流の下刻で、急崖ができ、扇頂部の北東側まで削られたガリー地形。最近も崩壊が発生している。

 沖積錐の北東側半分は、本流の侵食の結果下部を削られて急斜面となり、樋状の小谷が掘り込まれている。この斜面にたまたま旧青梅街道が設けられ、その急崖の地形を利用して仕切り柵と番所が設けられたらしい。 

 この急斜面には、最近でも沖積錐の扇頂部のガリーの谷頭で新たな崩壊が発生する等、不安定であり、崖の下に集落が存在することから、大規模な崩壊防止工事が行われていた。

→裂石下の急斜面。
 道は」、旧青梅街道(大菩薩峠越え)
 コンクリ防壁の切れたところが番所跡。
 コンクリ防壁は、樋状小谷の崩壊物落下留め用
 車の所は、樋状小谷の下端位置
 裂石(沖積錐扇頂部)は車の上に見える木の根本付近


茶色に見える車は、本とは赤のベリーサ。


 樋状小谷発達に先立つ、浅い凹地谷地形の発生により、扇頂部にある巨大岩塊の北東側底部の堆積土砂が流失、低下したため、岩塊の北東側部分が滑り、「裂石」となっている。
 割れたのは遙か昔のことであるので、その詳細は分からないが、割れ口は1つのみであり、割れ口の形は節理の割れ目ではないので、岩塊が移動して伏石となって後、岩塊下の土砂移動により開口ヒビが入り、木の根による開口作用で破断したのではないかと想像する。
 破断後、滑って、広い割れ目となっている。
 沖積錐は、完新世のものであるが、本流下刻により段丘化している等、その最初の形成と巨大岩塊の堆積は、当然古代以前のものと言える。ただし、裂石より上流の土石流原は現在でも活動しており、新しい堆積が見られる。

→裂石より上流側の土石流堆上より裂石を見下ろす。巨石の上流側は埋められていることが分かる。

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