石井良三氏作成 観察会記録アルバム 080323 アップ 房総の地形をたずねる -房総南端の地形 その1・洲崎半島- もくじへ
2007年度 千葉県立中央博物館地学野外観察会 房総の地形を訪ねる 2007年10月21・28日(日) 記録アルバム 撮影・作成 石井良三 WP掲載工事人 滝おやじ 080323アップ開始 |
撮影作成者 石井良三氏談: このアルバムは、「観察会」に参加した人が“何処で”“何を見て”“何をした”かを思い出すために作りました。 観察会で配布された資料を転載した部分がありますので、他の目的にご利用なさる際には注意願います。 この観察会は1週間前に講義があり、詳細な資料も配られておりますのでこのアルバムを参考に復習してみるのも良いのではと思います。(観察会参加者の生態観察集みたいになってしまっているので無理かな?) 地学的解説は今後、吉村講師のHPに掲載されると思いますのでアドレスを下に記します。(現在、計画書のみ掲載中) 2008年1月 石井 良三 WPアップ工事人、滝おやじ談: 1.WP掲載に伴い、A4縦(原本は私家版印刷本です)を横長に体裁変更し、画像は縮小しました。コメントで工事人の追加分は、原則、緑字です。 2.アルバムの観察Stop地点名に、現地解説資料の対応箇所へのリンクを付けました。アルバムには、ブラウザの戻る印で戻ってください 3.観察地点での解説の「思い出し」「復習」用に、緑字のコメントをつけました。 |
アルバム 表紙
2007年 (アルバム) 平成19年度地学野外観察会 房総の地形を訪ねる 房総半島南端の地形 1−洲崎半島− 2007年10月28日(日)現地編 講師 八木令子 千葉県立中央博物館地学研究科 講師 吉村光敏 千葉県立中央博物館外来研究員 千葉県立中央博物館・友の会共催 |
(千葉県館山市坂井・砂山) |
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No. | 地名 | 観察内容 | W.C. |
1 | JR館山駅のデッキ | 元禄汀線 | ○ | |
2 | 館山市藤原 | 平砂浦海岸遠望 | ||
3 | 平砂浦(砂山)サンドスキー場跡 | 丘陵にのりあげた砂丘砂、海岸の防砂 | ||
4 | 弁天島 | 元禄地震で隆起した島 | ○ | |
5 | 平砂浦海岸 | 防砂林、大正期以降の砂丘 | ||
6 | 御岳不動滝 | 旧海食崖と懸谷状の滝 | ||
7 | 館山市伊戸 | 昼食、地震による隆起でできた4段の海岸段丘 | ○ | |
8 | 館山市見物 | 関東大地震で隆起した波食棚(大正ベンチ) | ○ | |
9 | 館山市浜田鉈切洞穴 | 隆起海食洞穴 ※時間がなく通過 | ||
10 | 沖ノ島 | 陸けい砂州と縄文遺跡跡 |
アルバム P2、 Stop.1 JR館山駅のデッキから元禄汀線を見る
<7:40>NTT前 |
8:01出発<8:06>千葉市内 |
<8:22〜40>市原SA |
<9:39>館山駅西口着 2人乗車 |
Stop.1 JR館山駅のデッキから元禄汀線を見る 建物の前面付近が元禄汀線(資料15頁) 東側デッキより 駅と駅前広場は元禄地震で隆起した面(沼W面・元禄段丘面)で、 国道に上がる緩い坂が、元禄地震前の海岸線。 元禄汀線を見下ろすもっとも手軽なアングルです。観光案内板を立てたいですね。 |
<9:44>館山駅東口デッキ上 |
<9:46> |
アルバム P3
沼サンゴ 以前(30年前)はもっとでかくて1つだったような・・・だんだん分解しているのでは。 |
<9:53>館山駅東口 沼サンゴの説明板あり |
<9:55>館山駅東口 |
<9:58>館山駅西口 |
<9:58>館山駅西口(海側)デッキ 駅から海岸まですべて元禄段丘面(資料15頁) ずっと先の海までの陸地が元禄地震で隆起したところ。 隆起した陸地は、その後新田開発され、ここは、渚新田という新田だった。 その後渚銀座という風俗街になり、名を轟かせた。最近、再開発で面目一新。 |
<10:24>Stop.2 館山市藤原 |
<10:25>観察地点へ |
アルバム P4 Stop.2 館山市藤原 平砂浦海岸遠望
館山市藤原 goo地図に加筆 |
<10:24>バス下車地点より南方向を撮る 正面の山の下が相浜。そこから右手が平砂浦海岸。 平砂浦海岸平野は、広い岩石段丘の発達する海岸平野で、古くから開けた平野だったが、 元禄の地震で隆起し、地震をきっかけに成長した砂丘群(元禄砂丘)が大成長。 平野をほとんど埋めてしまった。 元禄砂丘群は、戦後の砂防工事で砂が止まるまで人の開拓を寄せ付けなかった。 画像で畑になっているところは戦後の砂防事業で砂丘を取り去ってできた耕作地。 また、平野背後の観察地点(以前の海食崖の上)まで、砂丘砂が這い上がっている。 |
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<10:27>Stop.2 |
平砂浦海岸沿いに見える樹林は、戦後作られた黒松の海岸砂防林 ← 伊戸方面(Stop7)を望む。白い建物は砂山(Stop3)の前のゴルフ場のホテル 正面の山の急斜面が、沼T面時代に削られた海食崖 |
アルバム P5 Stop.3 平砂浦(砂山)サンドスキー場跡 丘陵にのりあげた砂丘
Stop.3 館山市坂井付近 goo地図に加筆 ここでは、元禄砂丘が山の上まで這い上がり、裏の谷に這い下りていた。 現在は、砂が来なくなって、砂丘が大幅に痩せはじめている。 山を登っている(いたか)現成砂丘というのは、 関東地方でここだけかも |
<10:56> Stop.3着 |
<10:56>バス下車地点より北北東、砂の斜面を見る。 砂丘の這い上がり側全景 砂が供給されていた時は、もっと広く、撮影地点も含めて、 両側の疎林低木の部分は砂丘が植生で覆われているところ。 現在の砂の部分も、40年前には岩の稜線の岩が砂から少し出ているだけの高さまで 砂があった。・・・・40年前に小学生だった地元本間氏の談による |
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<10:57> 長靴に履き替え砂山登りの準備 |
<11:05> |
<11:06> 前日に雨が降った為か、歩き良かった。 |
アルバム P6
<11:05> |
<11:06> |
<11:08> |
<11:08> |
<11:09> この岩の頂上まで砂があった。 |
<11:10> |
<11:10> |
アルバム P7
<11:17>西岬層の露頭 砂岩凝灰質泥岩互層 |
<11:18> |
砂山の北側(山側) <11:19> |
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<11:20> |
<11:21> |
<11:21>砂山北側(山側)の全景 人物側の稜線を越して砂丘が這い降りていた。 当時の砂丘の高さは、人物の上の疎林と草原の部分まであった。 現在は衰弱して深くえぐれている。 右端が、這い降りた砂丘が埋めて平らにした谷底。 |
アルバム P8
<11:24>南東部尾根上 |
<11:24> |
<11:23> 南東方向を撮る 安房丘陵の展望。 軟らかい地層の山地が侵食により低下し、高さのそろった定高性のある山地になっている。 ・・・・そのメカニズムは? ・・・分かりません。(^_^;) |
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<11:32> |
<11:34> |
<11:36>東側砂山の傾斜変換線付近 砂すべりをして遊んでいた |
アルバム P9
<11:39> |
<11:39>親子連れが水遊びをしていました |
<11:39>急斜面なので、登り返す困難さを考えて傾斜変換線まで来て引き返す。 |
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<11:40>ここより下に降りたのは2人だけ。 |
<11:41> 戻る |
<11:50> |
<11:54> 長靴を仕舞う。 <11:58> Stop.3発 |
アルバム P10 Stop.4 弁天島、元禄地震で隆起した島。 Stop.5 平砂浦海岸 防砂林、大正期以降の砂丘
goo地図に加筆 |
<12:05> Stop.4 弁天島 元禄地震前は島(岩礁)だった |
<12:06> サンゴの化石 |
<12:14> Stop.5 砂防林を抜けて海岸に出る 大正地震で隆起した砂浜 |
<12:16>海岸の護岸上より東側の砂丘を撮る Stop4〜Stop5は、黒松の海岸砂防林。その前面に、 大正地震以後の砂浜の砂を止めた砂防垣から発達した現成の人工砂丘がある |
<12:16> |
<12:22> |
アルバム P11
現成砂丘越しに、沼T面の海食崖を望む |
<12:33> 弁天島を再度、撮影 観光客が多く、これでも邪魔が少ない方 沼W面 |
<12:34>Stop.4 発 |
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<12:38>Stop.7へ移動中 |
<12:42>Stop.7 伊戸 沼W面と沼T面の海食崖 |
Stop.7 館山市伊戸 ・館山市ドコモエコタワー風車 goo地図に加筆 |
アルバム P12 Stop.7 館山市伊戸 昼食。地震による隆起でできた4段の海岸段丘と、段丘の微地形
館山市伊戸 4段の段丘と段丘の微地形観察ルート 観察会資料にルートを加筆。 図、右隅の28mの高まりは、沼T面より高い地形 断面模式図は千倉地区の段丘面の模式図 館山市発行2500分の1地形図(等高線間隔2m)に加筆 ![]() <見どころ> 1.4段の段丘面を簡単に一回り。ただし、大正地震クラスの小さな段丘地形は よく分かりません。 2.同じ磯浜海岸が隆起した海岸段丘でも、海底地形種が違うと、地形が大きく違う。 ・・・配布資料のp26の1と2参照。このオーダーで海岸段丘地形を見ると新しい発見があると思います 具体的には・・・ この地域は、海岸段丘の形からみると2つに分かれます。 A:図の14:19の●から南東半分 B:図の14:19の●から北西半分 です。 A地域は、侵食が進み、外海向きの直線的な海食崖と並行する波食棚の場所が隆起した岩石海岸段丘、 B地域は、侵食が進み、外海向きで緩やかに湾入した海食崖とその下の侵食入江が隆起した砂礫岩石段丘です。 |
アルバム P13
<12:44>伊戸漁港西側の海岸より、東方の布良方面を撮影 Aタイプの海岸。手前、大正地震で隆起。凄く凸凹しています。ランパート部分がやや高い岩礁になっている |
<13:07>各自適当な場所を見つけて昼食 大正地震で隆起した生簀の跡 大正ベンチを探すときの目印になる。 |
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<12:44>伊戸漁港西側の海岸より、西方を撮影(合成写真のため水平線が歪んでいる) 大正ベンチと現成のベンチ |
<13:08>後は、ドコモタワーと休憩施設 大正地震で隆起した生簀の跡 |
アルバム P14
<13:28> |
<13:38>伊戸漁港 左手の高みは昔の岩礁 元禄段丘面上の盛土地 |
<13:37>伊戸漁港 沼W面 正面の入り組んだ小崖が元禄汀線 |
<13:40>左沼V面・右沼W面 元禄汀線の直上。右手が当時の離れ島 |
<13:42> 沼V面 ここでは幅が狭く、家1軒分ぐらいしかない |
<13:47>円光寺 沼U面 寺の後ろの小崖が沼U面の汀線 |
<13:50>沼T面 家の下の小段が、大正地震級の段丘崖 |
脇に咲いていた極楽鳥花 |
アルバム P15 各画像のルート図上の位置は、P12の地図参照
<13:53> 墓地へ |
<13:55> 墓地 沼T面より高い面? 沼T面より高い地形だが・・・私は沼T面時代の海食崖から突き出した岬と考えたいが、より古い海岸段丘面の可能性もある。 |
<14:01> 集落の辻々にある石仏 |
<14:01> 墓地脇のお堂 墓地脇の集落のお堂 伊戸地区は江戸時代の地割がそのまま残っている。 |
<14:01> 八坂神社参道 沼T面の上 |
<14:01> 八坂神社社務所 |
<14:12> 沼T面の汀線とランパート沿い。 人工的に凹凸が平坦化されている。 |
<14:18> 沼T面の末端の崖。 崖上は当時のランパートが削平されている |
アルバム P16 各画像のルート図上の位置は、P12の地図参照 ここから、入江跡のB地域になる。
<14:21> 沼T面、 B地域になり、段丘表面が砂礫で、岩礁跡がなくなる |
<14:21> |
<14:18> B地域の展望。湾入した旧海食崖とそれに並行する形の緩傾斜の段丘崖の沼T面 |
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<14:28> |
<14:31> 小川の底に礫が出ている 当時の入江中央に当たる場所。 湧水が集中して水路ができる。 段丘表面が砂礫層なことが分かる小露頭あり |
<14:49> 段丘崖の平面形が海食崖と平行した 湾曲線になっている |
<15:01> Stop.7 発 |
アルバム P17 Stop.6 御嶽不動滝と伊戸不動滝 海食崖型の滝・・・・資料p23参照
<15:06>Stop.6 御嶽神社着 |
<15:10> 御嶽不動滝 |
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<15:10>参道の左手を沢に沿って行く |
アルバム P18
<15:16>御嶽神社の境内より俯瞰 ・高さ:9m ・滝面:条瀑、線滝、円弧状 滝壺あるが人工化くさい ・地層:三浦層群天津層 ・岩質:泥岩層 ・構造:逆層 ・成因:海食崖による滝 ・変遷:海食崖前面より20mくらい移動している。 ※海岸段丘の年代から滝が出来てから6000年と千葉県最古の滝。 (吉村先生の資料を適当に摘み食い) 御嶽神社社殿 |
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<15:22>伊戸不動滝(道路より望遠で撮影) 落差32m |
アルバム P19 Stop.8 見物 関東大地震で隆起した波食棚(大正ベンチ)
<15:33> Stop.8 見物(けんもつ)着 |
<15:33> 大正ベンチの観察ではない 西岬層の泥岩とスコリア凝灰岩が層になっている岩礁。 ちょいとみたら、穿孔貝の跡がたくさんついていました。 |
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<15:33> 1.地形の判別 「皆が乗っていた岩」が、元禄段丘面の末端 岩の下の凹み(ノッチ)のある小崖が、元禄地震(1703年)から大正地震(1923年)の間に侵食された海食崖。 その下の小平坦面が、大正地震で隆起した波食棚(大正ベンチ) 大正ベンチの海側の小崖が、大正地震以後現在にかけての、現成海食崖ということになる。 2.地形の観察 伊戸地区とは大正ベンチの幅が狭く、地形も平坦な単一の波食棚で大分形が違います。 波の強さ、隆起量、地層の走向や硬さなどにより違ってくる。・・・資料p12参照 |
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<15:34> 穿孔貝の跡がある |
<15:34> |
<15:37> |
<15:40> |
アルバム P20
<15:42> 元禄段丘面、下が大正ベンチ |
<15:42> 大正ベンチと現成の海食崖 |
<15:45> 大正地震で隆起した 元禄〜大正の海食崖とノッチ |
<15:46> 泥の偽礫 大正ベンチ上の西岬層 |
<15:46> |
<15:48> <15:50>見物発 |
<16:01> Stop.10 沖ノ島 着 館山駅での特急列車の時刻にあわせStop.9を省略 沖ノ島の陸繋砂州・・・大正地震後館山基地のための埋め立てが行われたのを期にできた。 |
アルバム P21 Stop.10 沖ノ島 陸けい砂州と縄文遺跡跡
<16:04> 海岸の人工改変と陸繋島 対岸の海岸の改変(埋立)により約20年で陸繋島になった |
<16:05>案内板の前で説明 時間が無く、ここで戻る。 説明内容は、資料p29-30参照 |
<16:07> |
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<16:14>陸?部を戻る |
<16:17>Stop.10沖ノ島 観察終了 |
<17:27〜41>館山駅 JR利用者等の数人が下車 |
<17:45〜58> 館山道を千葉へ |
アルバム P22
平成19年度地学野外観察会 房総の地形を訪ねる 房総半島南端の地形 1―洲崎半島―
「観察会」に参加した人が“何処で”“何を見て”“何をした”かを思い出すために作りました。 観察会で配布された資料を転載した部分がありますので、 他の目的にご利用なさる際には注意願います。 この観察会は1週間前に講義があり、詳細な資料も配られておりますので このアルバムを参考に復習してみるのも良いのではと思います。 (観察会参加者の生態観察集みたいになってしまっているので無理かな?) 工事人: 復習に使えればと思いまして、ご参考までにと、緑字でコメントを付けました 地学的解説は今後、吉村講師のHPに掲載されると思いますのでアドレスを下に記します。 滝めぐり・地形めぐりの記録とメモ http://komikekkus.hp.infoseek.co.jp/index.html 2008年1月 石井 良三 |