那須観察会記録目次へ

2008年度 千葉県立中央博物館友の会 第1回自然観察会  2008年6月1・2日(日・月)
講師 植物 原 正利氏、 地学 不肖・滝おやじ による
「初夏の落葉樹林と亜高山の湿原」 の現地記録画像集

撮影・図作成 石井良三および滝おやじ  WP掲載工事人 滝おやじ  080703アップ開始

ササの生態の解説 御船順子氏撮影提供 
  <もくじ>
 1.まえおき ・・・・どうでもよい前置き
 2.那須山麓、大丸温泉展望台から見える地形

 3.茶臼岳下の巻き道、牛ヶ首までに見える地形 ・・・・火山地形や周氷河地形など
 4.茶臼岳下の巻き道、牛ヶ首までにみえる植物 ・・・・高山荒原の植物

 5.牛ヶ首〜日の出平で見える地形 ・・・・カルデラ壁や、非対称山稜
 6.牛ヶ首〜日の出平で見える植物 ・・・・ミネザクラなど

 7.八幡ツツジ園の地形 ・・・・・・火砕流台地の地形
 8.八幡ツツジ園の植物 ・・・・・・旧放牧地の植物

 9.那須温泉、看板による早分かり・・・・・早起きは三文の得。石井氏の早起きの成果

 10.中の大倉尾根周回歩道の植物 ・・・・・シロヤシオなど

 11.沼原湿原の地形
 ・・・・・化石周氷河地形かなあ・・
 12.沼原湿原の植物 ・・・・・・あんまり絵になるのがないなあ

 ふろく。 説明看板のチェック ・・・・・・恒例にしています。
1.まえおき
巨石と緩斜面の成因に頭をひねる滝おやじ。
那須火山麓沼原湿原にて
  WPアップ工事人、滝おやじ談:

1.
この現地記録画像集は、観察会参加者石井良三氏が、撮影し、図版を作成された記録アルバムを元にしています。作成されたものは、観察会参加者用で、300枚以上の画像のある大部のものですので、HPにアップするに当たり、石井氏のご了解を得て、縮小版を作成することとなりました。
 2.縮小版は、新たに同一ルートを歩かれる方々のために、どんな地形や植物が見られるのかを示す画像に絞って作成しました。さらに、滝おやじの現地資料になかったコメントや下見のときの画像も加えさせてもらって、解説資料の補足となるようにしました。解説資料ともどもご覧ください。
 3.画像・図版は、注記の無いものはすべて石井良三氏撮影のものです。その他の画像は、撮影提供者名を緑字で注記しました
 4.文章は、私、滝おやじが、付けさせていただきました。石井氏のアルバムのコメントをそのまま頂いたところもありますので、そこは、原則、緑字です
 5.文責は私、滝おやじにあります。

経路図   国土地理院20万分の1地形図「日光・白河」に加筆


 経路と日程

<1日目>
千葉市〜東北自動車道経由。

道の駅、友愛の森

Loc.1
茶臼岳ロープウエイ駅より茶臼岳の南半を巻いて、牛ヶ首へ。それより日の出平。

Loc.2
八幡ツツジ園

オオシマフォーラム泊

<2日目>
Loc.3
中の大倉尾根周回歩道のツツジ探勝コース

Loc.4
沼原湿原

道の駅 アグリバル塩原

東北道経由、千葉駅前

以下作成中>
 2.那須山麓、大丸温泉展望台から見える地形 
駐車場トイレ脇に咲いていた
ベニサラサドウダン

 ロープウエイ駅の駐車場からもほぼ同じ光景が見られるが、車でいっぱい。
 近くの大丸温泉の駐車場に、展望台やベンチがあるので、そちらで昼食。展望する。

 
ロープウエイ駅も大丸温泉も、大丸火砕流の堆積面上にある。堆積面は傾斜のある平坦な面ですが、すでに、河川の侵食により谷が掘られ、開析扇状地風に段丘化した地形になっている。
 前面には、茶臼カルデラの北側のカルデラ壁(朝日岳から鬼面山にかけての崖)が右手に見え、左手には、茶臼岳の厚い溶岩流が流れ止まって比高100m近い溶岩流の末端崖がみえる。崖の上にロープウエイ山頂駅がある。
 溶岩流の上に、茶臼岳の火砕丘と溶岩円頂丘が頭を覗かせている。
現地解説資料の駐車場からの景観とほぼ同じです。参考にしてください
■溶岩流原と前面の崖 茶臼岳がのぞく

崖の手前の河岸段丘状の平坦面は、火砕流の堆積面が解析されたもの。


0503
朝日岳

成層火山大の山頂部が吹き飛んで形成されたカルデラ壁の高まり。






溶岩末端崖の谷 断面の推定
 駅駐車場より 滝おやじ撮影
解説
末端押し出し奇岩
◇ 熔岩末端面の奇岩

滝おやじ撮影
◇末端押し出し奇岩の形成推定図

 3.茶臼岳下の巻き道、牛ヶ首までに見える地形 ・・・・火山地形や周氷河地形など 
ロープウエイに乗る

111人乗りの巨大な箱

急な溶岩の末端崖を一気に上がるので、なかなか凄い。

山ろく駅

山頂駅  2001

ロープウエイ山頂駅〜日の出平往復ルート図   国土地理院2.5万地形図「那須岳」に記入
何が見える。
山頂駅から牛ヶ首へ 茶臼岳山体を巻く  火山地形
<茶臼岳火山の部品>

現地解説参照。カルデラ内に三層構造の中央火口丘ができているのですよね。
■ 茶臼岳全景
解説
1880年噴火の噴火口(無間火口)

滝おやじ撮影
■ 噴火口 牛か首付近より茶臼岳 3106○
イオウ
溶岩円頂丘
溶岩円頂丘直下の崖錐斜面
■火砕丘斜面 0904 噴出して転がってきた末端近く。浮いているのは凍上
■火砕丘斜面 0906 先に谷があるが、侵食谷でなく溶岩の高まり凹み
■ 火砕丘斜面の谷斜面 0907 谷底の元の地形は溶岩の凹みが噴出物で埋まった形。その上に土石流堆
  <火砕丘下部の尾根と谷地形・・・景観の差異>

火砕丘の下部は、下位の溶岩流の凸地形に対応した尾根と谷があり、道はそこを横切る。谷底には断面がかまぼこ型に盛り上がる土石流堆がある。雪解け期に、流動化したのでないかと思います。
 下の右画像のように、向こう側の尾根は、火砕丘の斜面末端の転落礫集積部分にあたり、手前の尾根は、細粒物質のみの堆積部分に当たる。谷底と両側の斜面で、微地形や植生が異なり、異なった景観を示す。
 1.北側の尾根:火砕丘の斜面末端の転落礫集積部分・・・・地表傾斜は急で、巨礫が集積しているが、凍上現象はあまり顕著でない。裸地面積は広いが、斜面方向に裸地が流れ、階段土地形は発達が悪い。
 2.谷底:土石流堆・・・・・地表傾斜は緩い、巨礫が散在。礫が凍上して、露出している。裸地がなく、植生に覆われている。階段土地形の発達は悪い。
 3.南側の尾根:火砕丘周辺の細粒物質のみの堆積部分・・・・地表傾斜は中間。巨礫の露出が見られない。広く植生に覆われる、裸地は階段土地形の平坦部分としてのみ存在する。  
道沿いに谷の横断方向に、南から北を見る
遠景が1の尾根斜面、中景が2の谷底、手前が3の尾根斜面

左画像の下流方向
左側が、1の尾根斜面、中央が2の谷底、右側が3の尾根斜面

道沿いに谷の横断方向に、北から南を見る
手前が1の尾根斜面、中景が2の谷底、遠景が3の尾根斜面
谷底の土石流堆中央より上流を見る
巨礫が散在し、凍上している。
■火砕丘斜面とカルデラ壁斜面1107  牛ヶ首 傾斜が違うよね
■ 岩石 ○
■ 熔結火山角礫岩 ○
33 山頂駅から牛ヶ首へ 茶臼岳山体を巻く  周氷河地形と植生
■ ガンコウランのマット0908 地表を部分的に覆っているガンコウランのマット
■ 凍上の模式図  1005
■ そりフラクション 1004
  <凄く発達の良い階段土>
微地形や、方位によって、発達の良い悪いがあります。
茶臼岳をぐるりと廻って、その発達の違いを見て廻るだけで、結構面白そうです。
■階状土の側面 1101
溶岩流原の上の発達のよい階段土

滝おやじ撮影
下位の溶岩流凸地形に対応した火砕丘斜面尾根の
北東向き斜面の階状土
階段土の裸地が、南東斜面に比べて発達が悪い。
ガンコウランの植物マットが丈高く、広い。
下位の溶岩流凸地形に対応した火砕丘斜面尾根の
南東向き斜面の階状土
階段土の裸地が、北東斜面に比べて格段に発達が良い。
ガンコウランの植物マットが丈低く、薄い。
南東方向を向き、尾根斜面と斜交する。

滝おやじ撮影
■ 高山ハイデ 3301○
■ 18681噴火看板 3302○
■ 硫黄採掘の精錬所など→歴史地理学書斎論文 3303○
■ 階段土の断面 3304○
2.周氷河地形・風衝草原
■ 風衝草原と積雪深 3201○
■ 凹地の植生  シャクナゲ 3202○
■ 凍上した居大礫 3203○
■ 階段土 1 3204○
■ 階段土 2 3205○
◆ 茶臼岳南北での植生の違い 3206○
■ 南月山のダケカンバ林 3207○
◆ 茶臼岳東西での植生の違い 3208○
■ 牛岳首より俯瞰画像 3209○
■3381 牛の首からの眺め 雪崩溝・・・・多雪気候、2線山地 3210○
牛ヶ首から西方を望むと、冬季の季節風に対する第2線山地に当たるさすが山の稜線が見える。
この山地は、多雪山地の地形が見られる。那須山は第3線山地で、さすがに雪崩溝などの多雪地形は無い。
牛ヶ首から流石山

滝おやじ撮影
同左 拡大 雪崩溝が見える
滝おやじ撮影
■線状溝

 4.茶臼岳下の巻き道、牛ヶ首までにみえる植物 ・・・・高山荒原の植物
ガンコウラン
ヒメスゲ
ウラジロタデ
ミネヤナギ
シラネニンジン
マルバシモツケ
イワカガミ
やっと見つけた花の咲いたイワカガミ
コメバツガザクラ
■1901

 5.牛ヶ首〜日の出平で見える地形 ・・・・カルデラ壁や、非対称山稜 
4.牛ヶ首から日の出平の地形地質、植生景観
1.火山地形
■ カルデラ壁 4101○
2.気候と植生
■ 化石周氷河地形と変形樹 4201○
■ 現生の非対称斜面 4203○
◆ 現生の非対称斜面もしく図 4204○
■カルデラ壁と南月山山体。
ダケカンバ林となっている。
■1203
カルデラ壁 ■1206
尾根の東西での植生の違いを説明 ■1804
西方の地形 ■1803

6.牛ヶ首〜日の出平で見える植物 ・・・・ミネザクラなど 
ミネザクラ ■1304
ミネザクラ ■1306
■ミネザクラ1501 ■ミネザクラ1502
オオカメノキ
オオカメノキ
コヨウラクツツジ
コヨウラクツツジ
トリカブトの仲間 ■1401
ミヤマスミレ? ■1404
エンレイソウ ■1407
エンレイソウ ■1408
フデリンドウ ■1503
フデリンドウ ■1504
マムシグサの仲間 ■1505
ミツバオオレン ■1506
マンネンスギ ■1707
タケシマラン ■1801
日の出平
■1603
ミネザクラと低木 ■1604

 7.八幡ツツジ園の地形 ・・・・・・火砕流台地の地形 
時間が余ったので寄った。場所の地形は、 伴・高岡(1995)だと、御富士山岩屑なだれ堆積面、那須火山地質図(2002)だと、火砕流堆積面にあたり、傾斜のきつい平坦面になっている。
ルート沿いの露頭はよく見れなかったが、火砕流堆積面みたいで下。ルートの後半が緩斜面を下刻した沢になる。下刻が凄く早いのだが、下流側から遷急点が上がってきているようにも見えないので、原地形(火砕流堆積面)の勾配が
急なために、河川の局部的な下刻がおこっているのかなあ・・・という感想。

この緩斜平坦面は、那須山山麓のいわゆる那須高原に当たります。

この場所の地形と植生の説明
・・・・観察会の資料から抜書き

 那須高原は・・・・明治に入って開墾されて、近代的な牧場となり多数の馬が放牧されるようになった。現在、山麓にツツジ類が多いのは、酸性土壌がその生育に適していることに加え、有毒なため、馬などの家畜が採食しないので、量的に増えたと考えられる。
 
 また火山性堆積物や扇状地性堆積物からなる緩傾斜の斜面は、全体的には乾燥しているが、所々に凹地があり、小規模な湿原が発達することがある。

展望台から見た八幡ツツジ園。傾斜のある平坦な地形
北西の八幡温泉方向を見ている。4Fの建物が八幡温泉。その背後の崖は火砕流の末端崖らしい。地形図参照

一面ツツジだらけである。

駐車場近くの凹地、湧水で池になっている
■地図2007 ■案内図2006
8.八幡ツツジ園の植物 ・・・・・・旧放牧地の植物
放牧場の跡、毒があるので牛馬が食わない ■2105
■2107 ■2108
■サラサドウダン2101 ■サラサドウダン2102
ベニサラサドウダン
ベニサラサドウダン
■2202 ■火砕流堆積面が解析された台地

9. 那須温泉、看板による早分かり ・・・・・早起きは三文の得。石井氏の早起きの成果
早朝、滝おやじがまだ寝ている間に、石井氏は、宿舎をたちいで、那須湯本温泉、喰初寺、温泉神社、殺生石とまわってこられました。
それぞれの説明看板が、長文でなかなか面白く、看板による早わかりになっていました。
面白そうなところで、次回は是非実際にまわりたいですね。
宿舎のオオシマフォーラム

湯本温泉の下流にある。
那須湯本温泉   由緒正しい、歴史の古い温泉とのこと
那須湯本市街地
那須温泉の看板
<看板銘文>  那須温泉
 那須は温泉に恵まれており、湯本鹿の湯をはじめ大丸・北・弁天・高雄・三斗小屋・旭・八幡・新那須・飯盛など数多くの温泉があります。中でも那須湯本鹿の湯の歴史は古く舒明(じょめい)天皇の御代(奈良朝六三〇年)に狩野三郎行廣が、白鹿にみちびかれて発見したということです。
正倉院古文書駿河国正税帳(しようぜいちょう)に、奈良朝時代の貴族が湯本温泉に湯治に来たことが記載されてあり、古くから湯治の場として親しまれ今日に至っております。
 左の絵は、明治三十八年ごろの湯本温泉を描いたものです。         環境省・栃木県
巨石信仰から始まったらしいお寺がありました
喰初寺(くいそめじ)というお寺がありました。日蓮上人の所縁とのこと。 
日蓮様が入湯とは、湯元温泉は、さすが古くからの伝統ある名湯ですね。
さらに、面白いことに、巨大な石が境内に鎮座。・・・・・なんでしょう。  竪割山の観察会以来巨石が好きになったもので・・・・

日蓮聖人御入湯霊場 喰初寺の石柱
日蓮上人も湯治にこられたとは、
流石に伝統ある温泉と感心


喰初寺本堂
経題石は


  説明看板がなかなか面白い。 ご本尊は大石らしい。

<看板の銘文> ・・・読みやすくするため、句読点を補い改行しました。
 當山縁起
当山は日蓮大聖人此の地に至り、聖浴し給ふ霊蹟地である。
大聖人聖浴の印として路傍の大石に南無妙法蓮華経の七文字を此處に残し、後世に伝えらるに至った。
今当山の御本尊(重要文化財)がそれである。
 尚、喰初のおこりは当地の藩主黒羽大関公の姫、重い病に伏せり食する事を得ず、命旦夕の項、夢の知らせにより当山の本尊に祈願をこめしに、不思議や姫の病日増に全快に向い食をとることが出来る様になった。
大関公この霊験顕著なるを識り、こゝに一堂を建立し、寺號を喰初佛と名付けるに至ったのである。
   当山宝物
一、御本尊喰初佛(重要文化財)
二、大関公染筆喰初佛額面
三、九尾稲荷 大関家守護神
傳説に名高い白面金毛九尾の妖怪は、汎く三国に亘り、日本に来りては、玉藻の前と化し、陰陽師安部泰親に看破され、本性を顕した由、来説である。
 偶々日蓮聖人此の地に在りし時、法華経の功徳により妖狐の怨念を佛果に浴せしめ、成佛を得たりと傳えられる。 據て茲に九尾稲荷と稱號し、大関家の守護神として当山に尊神の像を安置し、その信仰を深めたのである。  喰初寺(くいそめじ)

看板には、書いてないが、境内には、境内には「数珠割り石」という名の巨石がある。 看板の後段の九尾稲荷にかんするもので、「殺生石となっていた九尾の狐の霊魂がこの大石に隠れて、近隣に災いをもたらしたが、この大石を日蓮上人がお題目を念じて、数珠で石を叩くと、石が割れ、隠れていた妖狐の霊魂は改心して、今度は、この地の守護神となり、九尾稲荷として慕われるようになった。」とのことである。

・・・・路傍の大石に題目を書いたものが、本尊(喰初佛)ということらしい。これは、那須町の町指定文化財になっている「喰初寺の題目碑」のことではないかと思われる。一名、「経題石」ともいわれるようだ。本堂内にあるのだろう。
また、「数珠割り石」は、もろに、巨石信仰の痕跡であり、いずれも、この寺が、巨石信仰の霊地を日蓮宗寺院化したものであると思われる。ということは、普通じゃない巨石・奇石が存在するということですね。・・・・実際、本堂の裏手にある「数珠割り石は、なかなか凄い石です。
数珠割り石
数珠割り石 (裏から見たところ)
画像だと小さく見えますが、なかなかでかい石で、殺生石のところにある土石流堆積の石に比べて格段の大きさ。
形は層理があり特に変わっていないから、世の常のものでないと人々に思われたのは、その大きさではと思います。
このような巨石を運ぶ作用としては、岩屑なだれや火砕流が考えられるが、地質図で見ると、湯元温泉の一部が火砕流の堆積面になっています。
火砕流によって運ばれてきた巨石ではないでしょうか。

こうゆう特殊な成因の大石に、世の常で無いものを感じて、イワクラとして神そのもの、あるいは神の座として信仰するのが巨石信仰といわれるものなのでしょう。昔の人の、世の常で無いものを感じる感性は凄いなあと思います。今の人は、見ても、なんとも思わないもんね。

余談ですが、竪割山の太刀割石もそうでしたけど、霊石は「割れている」のが重要なタイプがあるみたいですね。異界との門を示すのだろうか・・・・・。
温泉神社 ・・・・・ 温泉の神を祭る神社が、こんなに古いのだから、温泉はえらく古くから開かれていたようですね。
<温泉神社 国道より>
 <説明看板銘文> ・・・・行替え等、体裁変更。


 延喜式内社 温泉神社

一、創立  第三十四代舒明天皇の御代(六三○年)狩野三郎行広、矢傷の白鹿を追って山中に迷い込み神の御教により温泉を発見し神社を創建 温泉の神を祀り崇敬の誠を尽くした 狩野三郎行広は後年那須温泉開発の祖としで見立神社祭神としで祀られる一、祭神  大己貴命 (おおなむち の みこと)  少彦名命 (すくなひこな の みこと)      相殿 誉田別命 (ほんだわけ の みこと)
 大己貴命は別命大国主命(大国様)と申し上げ縁結び、商売繁盛、身体健全、温泉守護、の神として信仰されています 少彦名命は国土を耕し鉱山や温泉を開拓し薬等を作った神であり温泉の神として広く崇敬されている 誉田別命は八幡様とも申し上げ武運の神として尊ばれ勝運を祈る神である。

一.由緒  正倉院文書延喜式神明帳記載 (九二七年)によると温泉名を冠する神社は十社を数える。上代より当温泉神社の霊験は国内に名高く、聖武天皇の天平十年(七三八年)には都より貴人が那須に湯治に下った事が載せられている。従って神位次第に高まり清和貞観十一年(八六四年)には従四位勲五等が贈られている。
文冶元年(一一八五年)那須余一宗隆、源平合戦屋島の戦に温泉神社を祈願し見事扇の的を射、名声を轟かせ後一門を挙げて厚く崇敬した。
建久四年(一一九三年)源頼朝那須野原巻狩の折小山朝政の射止めし九岐大鹿角を奉納。
元禄二年(一六八九年)俳人松尾芭蕉「奥の細道」をたどる途中温泉神社に参詣、那須余一奉納の鏑矢等宝物の拝観、殺生石見物等が曾良の随行日記に載せられている
大正十三(一九二二年)摂政宮殿下(昭和天皇)の行啓を仰ぎ那須五葉松のお手植えを頂く。大正十一年(一九二○年)久邇宮艮子女王殿下御参拝、那須五葉松のお手植えを頂く

一、例大祭  十月八日  湯汲祭  献湯祭   十月九日  献幣祭  神幸祭
一、本殿 慶長十二年(一六一七年)那須資晴の建立
一、幣殿、拝殿 昭和六十年十月竣工
一、社務所 平成二年十月竣工
一、見立神社 祭神 天児屋根命、狩野三郎行広 温泉発見の功により合祀  例祭. 五月二十七日
一、祖霊社 日清、日露、大平洋戦争による氏子の山戦没並びに地元の神葬家の祖先を祀る   慰霊祭 春秋彼岸並びに八月十五日(中元祭)
一、愛宕神社 火産霊命(ほむすびのみこと)  例祭 四月二十四日
一、九尾稲荷 例祭 二月初午
一、那須神社(茶臼嶽山頂鎮座)開山祭 五月八日 閉山祭十一月八日
一、昭和天皇御製皇太后御歌碑 平成三年七月竣工
一、大鳥居 八幡型 高さ 九、四メートル 奉納 東京 人見隆清
一、水琴窟 奉納 東京 福田鏡二
一、愛宕福神水 奉納 同 同
一、灯篭  六十四基
樹齢推定800年の巨大ミズナラ がある。

<看板の銘文>

 御神木  「生きる」

このミズナラは悠久の時を経て直・樹勢 旺盛にして力強く「生きる」と命名されております。
活力、蘇生力、生命力等のパワーが授けられる巨木として崇められております。

和名 ミズナラ(ブナ科落葉樹)
齢齢 推定八百年
樹高 十八メートル
胸高周囲 四メートル
殺生石 ・・・・・有名な噴気孔。
岩屑なだれ堆積面の開析谷斜面にあり、その前面の境内地は土石流堆積面で、何個か噴気孔がある。
噴気活動は衰えているようで、境内の噴気孔も噴気が無いようでした。
殺生石看板

□銘文
以前はもっと噴気活動が活発だったらしく、殺傷石に行く手前に2-3の今は噴いていない噴気孔の跡がある

その噴気孔で、明礬の採取なども行われていたとは、驚きです。

下流側から全景

境内は、段丘化した土石流の堆積面と思われる

温泉神社から、殺生石の谷全景



土石流堆積物



噴気孔から明礬を採取していたのですね。
目倉へ微意氏 明礬鳥の開始

■□ 目蔵蛇の看板と銘文

湯の花採取場跡

■□ 看板と銘文
明礬畑 年貢になっていたとは
以前は教傳地獄という泥沼の噴気孔があったのでしょうか?

教傳地獄と地蔵
  
<教傳地獄看板銘文>

  教傳地獄の由来
 第九十六代後醍醐天皇の御代(ー三一八年)の項、奥州白河在の五箇村に蓮華寺と言う寺があり「教傳」と言う住職がおりました。
 この教傳ば生まれながらの不良少年で、心配した母がお坊さんにしようとしてこの寺に預ってもらいました。その教傳もニ十八歳になって、前の住職の跡をつぎ、母とー緒に寺に住むようになりましたが、その行いは少しも直りませんでした。
元亨元年(一三三六年)のことです。教傳は、二・三人の友人と一緒に、那須温泉に湯治に行くことになりました。
その日のことです。教傳ば、母が朝食を用意してすすめると教傳はまだ旅仕度くも出来ていないのにと悪口を言いながら、お膳をけとばしてそのまま出発してしまいました。
那須温泉に着いた教傳達はある日殺生石を見学しようと賽の河原附近まで行くと今まで晴れわたっていた空が、俄かにかきくもり雷鳴が天地をゆるがし、大地から火炎熱湯が噴き出し、連れの友人ばいっせいに逃げ去りましたが、教傳は一歩も動くことが出来ませんでした。ふり向いて見ると「おれは寺を出るとき母の用意したお膳を足げりにして来た天罰をうけ火の海の地獄に墜ちて行く」と教樽が大声をあげ苦しみもがいております。友人がかけ寄り助けようと引き出したが、教傳の腰から下が、炭のように焼けただれており息をひきとってしまいました。それからも教傳の引き込まれたところにば泥流がブッブツと湧いていましたが、いつしか山津波に埋ってしまった。
その後、湯本温泉の有志が、亨保五年に地蔵を建立して供養を行い、親不孝のいましめとして参拝する者が後を断たなかったと言うことです。
那須町観光課 那須町観光協会

親を敬わない恩知らずに焼きを入れるなんて、なんて都合のよい地獄でしょうか。
中坊になって、生意気で、憎たらしくなった奴は、こうゆう地獄に落としてやりたいと思いますよね。
子を持つ親としては、「よくやってくれた。正義は勝つ」という快感。
殺傷意思

解説書 ・・・・・入手できなかった。
「那須温泉史」・・・・那須温泉や那須山の格好の解説書、2000円がある。那須町で作成。
http://www.town.nasu.tochigi.jp/section/syogai/nasuonsenshi.htm

道の駅友愛の観光交流センターで販売しているとのことで、
http://yuainomori.web.infoseek.co.jp/kankou/newpage21.html

入手したくて尋ねたのですが、ありませんの一言であった。残念。

10.中の大倉尾根周回歩道の植物 ・・・・・シロヤシオなど
■案内図2701
■2702 ■2604 ■2703
■展望3501
7.中の大倉尾根周回園路沿いの地形
■2803ゴヨウツツジ
■2806ヤマタイミンガサ
ゴヨウツツジ ■2902ゴヨウツツジ
■ゴヨウツツジの四g2903 ■2904ゴヨウツツジ
■2905
オクモジハグマ ■2906
侵食前線、ウラジロモミ
■2908
ダケカンバ ■3002
あおだも ■3004
ゴヨウツツジ ■3005
ゴヨウツツジ ■3006
煮立つだけ軽いし ■3007
オオカメノキ
■3101
オオカメノキ ■3102
ブナ込み ■3104
ブナヤング ■3105
説明 ■3202
ササの花 ■3203
チシマザサ ■3205
ハイイイヌツゲ ■3206
エゾウズリハ ■3207
号王つつじ ■3302
講師 ■3307
ヤマタイミンガサ ■3402
エンレイソウ ■3403
コヨウラクツツジ ■3204
オオバユキザサ ■3405
ツクバネソウ ■3406

11..沼原湿原の地形 ・・・・・化石周氷河地形かなあ・・
■3602案内図
■斜面の地形 地質

滝おやじ撮影
■斜面の地表堆積層 黒土と榛名二ツ岳軽石
滝おやじ撮影
子守石 安山岩の巨礫 緩斜面の最下部にある
滝おやじ撮影
■子守医師と斜面
<子守石の伝説、その1、その2>
子守石という、変な石があるのですが、伝説の付会した石でした。説明看板に述べられている伝承と、聞き書きからの引用の2つの伝説をあげてみます。

子守石説明看板 滝おやじ撮影
、画像の白いところは、看板の表層が欠けているところ
その1.説明看板の銘文

  「子守石」の伝説について   <銘文> ・・・・ は欠け字

その昔、ある男が、子どもが生まれるときに、見てはいけな・・・・ったことから、妻の正体が大蛇であることがわかり、それ以来、小石・・・・蛇は姿を消したそうです。
 男は、子どもが泣くとその石をなめさせましたが、・・・あるこの大きな石の上に立ち、大声で妻の名を呼びました。・・・・・・現われ、また一つ小石を渡しました。それは、大蛇の目だっ・・・・女の滝にその大蛇と思われる盲目の美女が現れたという・・・・・
                    ・・・・・務事務所


その2.那須の郷土史のHP「がりつう」より
  看板文面が欠けていて、内容いまいち判じ物ですね。
 完全版の伝説はないかしらということで、探したら、「がりつう」というWPの中に、「沼原の子守石」というページがありました。

「沼原の子守石」というサイトページをリンクさせて頂きます。
http://gari2.tuzikaze.com/kaidou/aidu_nakakaido/komoriisi.htm
こちらは、民話聞き取りを活字にしたものからの引用で、脚色なさそうですので、ご覧ください。

<コメント、伝説を2つ合体>
  リンクさせて頂いた聞き取り翻字の伝説と、看板のネタの伝説とは、同じでないが、どちらも本来の伝説の一部だと思える話です。看板とあわせると、大蛇や男の身元とか、大蛇の現住所は乙女の滝だとか、石の上で「大声で呼んだ」説と「座って待っていた」説とあるとか、面白いですね。

<コメント、伝説の元に謎の石がある>
 以上の神人交流の伝承は、人の心の生み出したものでしょうが、それを生み出した現実の物というのは、湖畔の道辻にたたずむ謎の石ということになるでしょう。
 この伝説の根底には、「大蛇=水神」「見られて去る」「盲目」など神の属性満載の沼原の水神の座として、この成因不明の謎の石に付会していったイワクラ信仰が読み取れます。
 さらに、道の辻にいて、「2度と会えない」「宝物をくれる」などのところに、辻の神、境の神といった、人と神との交流信仰が付会したものに類型されそうですね。
 つまり、昔の人も、成因のわからない石だなあと感じ、そこから神格化が始まったと思うんですよね。

<コメント 伝説の根底の、「石の成因の謎」について>
 では、今の人なら、この石の成因を、謎などでなく明快に解釈できるのかというと、どうもそんな文献はなさそうです(あるかもしれません、私も通りがかりで、十分検索したわけではない、ありましたらご教示ください)。 というわけで、今の人にもかなり謎なのですが、この謎の石はどこが謎で、地学的にはどう解釈されるか、考えたことを述べてみたいと思います。
沼原湿原北斜面の地形と子守石の成因についてのアイデア
■模式図 4401

 12.沼原湿原の植物 ・・・・・・あんまり絵になるのがないなあ
マイズルソウ ■3702
ヤシャブシ ■3706
タガネソウ ■3808
オトシブミ ■3902
 湿原風景

南のダム堰堤沿いの遊歩道より北方向を撮影。
地図で見るより広々とした湿原です。
 
放牧地の水のみ場として使われていたとのこと
ヒメハヘビノボラズ ■3905
湿原風景 ■3906 ■3908
毛氈後家の観察■4001 ■4002
■イヌエンジュ4006 ■イヌエンジュの芽生え3907
サンショウウオの欄海 ■4102
おたまじゃくしの塊 ■4203
フデリンドウ ■4105
ショウジョウバカマ ■4107
ズミ■4205 ズミ■4204


 ふろく。 説明看板のチェック ・・・・・・恒例にしています

ルート沿いの解説看板・・・良心的だがいまいち

案内図:ルート案内・時間と自然概要
冬季の厳しい環境:壊れないように

地形地質が無い。・・・景観が無い。

画像は、滝おやじ撮影
茶臼岳周辺登山案内図                                                     .
那須山(なすざん)は、那須五峰を中心どしだ山地の総称でず。北から三本槍(さんぼんやり)岳(1917m)、朝日(あさひ)岳(1896m)、茶臼岳  (1915m)、南月山(みなみがっさん)(1776m)、黒尾谷(くろおや)岳(1589m)を那須五峰ど呼び、いずれも火山です。なかでも、茶臼岳は、現在も活動を続けている活火山でず。そのだめウラジロタデやマルバシモツケなどの背の低い植物ど岩ばかりの特異な景観を見せています。
 茶臼山周辺の主な歩道は次のとおリです。
1 ロープウェイ山頂駅・茶臼岳山頂・ロープウェイ山頂駅・・・・・1.6km(1時間30分)
2 ロープウェイ山頂駅・牛ヶ首・峰の茶屋・茶臼山山頂・ロープウェイ山頂駅・・・・・4.2km(2時間30分)
3 ロープウェイ山頂駅・午ヶ首・日の出平・南月山まての往復・・・・・5.8km(2時間20分)
4 ロープウェイ山頂駅・牛ヶ首・姥ヶ平・沼原分岐。三斗小屋温泉・・・・・4.7km(2時間10分)
歩道はいずれも急峻な山岳地を通っていますのて、次のことに注意して利用してください。
・落石や歩道上の岩等には十分注意してください。
・天候が急に変わります。無理な計画や軽装での登山はやめてください。
・高山植物等の保護のため、歩道以外へ立ち入らないでください。
ここは日光国立公園の一部でず。自然を守るため、ゴ三は持ち帰ってください。
環境省・栃木県太田原林務事務所
火山の開拓者

 このあたりは岩や砂礫地が多いのですか、こんなところにも植物が入りこんできています。葉の裏が白いウラジロタデやススキににたコメススキ、いかにも高山植物らしいガンコウランなどです。このようなものを、開拓者に見立てて「パイオニア植物」といいます。

コメススキ
ガンコウラン
ウラジロタデ

撮影 滝おやじ
噴火のつめあと

ところどころに、白骨化した木の幹や枝が落ちています。これは、かっての茶臼岳の噴火のために枯れたハイマツの死がいです。噴火の前は、このあたりもハイマツに覆われていたものと思われます。





撮影 滝おやじ
日の出平周辺案内図
 茶臼岳から南月山を結ふ線上は、「中心部噴気帯」と呼ばれ、現在は茶臼岳を中心として大小無数の噴気孔から、硫化水素ガスなどが噴煙として立ちのぼり、今なお活動を続ける那須岳のシンボルともなっています。
 茶臼岳の噴煙をあとにして、牛ヶ首方面から平らな尾根を南へ向かうと標高1786mの日の出平に到着します。この付近は、5月中旬、多数のミネザクラが咲く美しい場所として知られ、冬期に日本海側から吹きつける強風と降雪の影響により、独特の樹形を形成しています。日の出平の西斜面は、明るく開放的な笹の原と広葉樹林が広がり、風にそよぐ姿はたいへん魅力的です。
 一方、日の出平の北方に位置し標高で約200m降りた姥ヶ平からは噴煙を上げる茶臼岳か望め、特に紅葉(9月下旬〜10月上旬)の時期には錦絵のような色あいで目を楽しませてくれます。
           栃木県大田原林務事務所
ミネザクラ   バラ科

 落葉広葉樹で、別名夕カネザクラとも言い、本州中部以北から北海道の深山の風衝(ふうしょう)地などに生育し、群生しています。
 那須岳では、稜線沿いで見られますが、牛ヶ首から南月山にかけての綾線沿いに多く生育し、特に日の出平周辺に群生しているものが有名です。 樹高は、2〜8メートル程度で、良く枝分かれずることが多く、5月中旬頃に、赤褐色の若葉と同時にこ直径2〜3センチの淡紅白色の花が多数咲き競い、高山での花見を楽しむことができます。
 なお、八幡温泉から那須自然研究路を約30分登ると、県指定天然紀念物である「八幡のミネザクラ」の大木を見ることができます。   栃木県大田原林務事務所
報告書の文章を抜き出す程度の文章だなあ。
景観を見る観光客の身になって文章を作る。
必要ならそのための調査をする・・・金を出す。
内容が書ける人が書いて、文章をライターがチェックする。

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