滝巡り記録 その3                         もどる  つぎへ  もくじへ
 千葉市→青梅市:沿道の地形について     講師、バスの中で大いに談ず。   
参加者、川口さんのメモをもとに、講師が加筆代筆して作ってしまった、観察会の話題メモです
川口さん、メモの提供ありがとうございました。メモして下さったので、話した事を忘れてしまっていたことを多数思い出しました。 こうゆうのを、まだらボケ というそうですが・・・(^_^;)
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平成13年12月8日〜9日   ◆ ○印 話題。 時間順。どこで見られたか。
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◆下総台地の地形
 千葉駅からしばらく台地の上を走っていたが、京葉道路になって、市川のあたりでは右手にみえた。
 古東京湾の海底面。もとは現在の2〜3m程度の海抜のところにあったらしいが、その後、関東造盆地運動で周辺が高くなって(100mぐらい)中央が沈んでいる(関宿より北では沈んで、沖積平野の下に沈んでいる)。

◆沖積平野(東京湾岸低地と東京低地)
 京葉道路からずっと走っていて、上野の山手線沿いの崖まで。上を走っていた。
 市川へんでは、下総台地を削った海蝕崖が見えていました。湾岸平野は海岸平野というわけ。
 市川一千葉 5000年前位前の砂丘。14号道路を東京に向かって市川辺りの松林の所が、海食崖を這い登った砂丘である(東側)。
 上野駅の山手線沿いの崖も海食崖です。
 東京低地は、5000年前の縄文海進で入り海になったところで、その海を、利根川や荒川が埋め立てた平野。
 ○古東京川
東京低地の地下には、古東京川の50mぐらいの深さの埋没谷が沖積層で埋まっている。 →基礎のパイプを打つ長さが深いので、以前はでかいビルが立ちにくかった。
上野駅(山手線)西側に近くなると、縄文海進の時に台地を海食崖が平面的に削ったあとになるので、沖積層の厚さが薄くなってくる。→基礎のパイプを打つ長さが浅く、以前はでかいビルが立ちやすかった。
 ○徳川幕府の成立以来、海を埋め立て、さらに平野を広げた。
霊岸島などがはじめの埋立地。  

◆武蔵野台地 上野の崖から西が、多摩川と荒川に挟まれた台地になっている。
  首都高と中央高速でしばらくはこの上を走った。
 ○上野から新宿付近まで:より古い台地で、約12万年前の古東京湾の海底が陸化して隆起した台地(下末吉面という。下末吉は横浜の下末吉の地名を取ったもの、千葉側の台地も大きく2つあるがその古い方がやはり下末吉面)
 ○新宿から調布付近 より新しい台地で、昔の多摩川の扇状地面が隆起したもの。5万年〜7,8万年前ぐらい。西に向かって、青梅に向けて高くなる。時代も新しくなり2万年ぐらい前の扇状地になる。
 南側は、段丘崖があり多摩川沿いには2万年ぐらいかより新しい扇状地があって、段丘になっている。
  ○立川断層なんかで、段丘面が変形している所もある。
  ○江戸→東京の都市発展と周圏構造
京葉道路→首都高→中央高速で東京を横断すると、歴史の古い江戸下町→高度成長以来の東京周辺の市街地化のあとを走っていくので、それなりに、場所場所で特徴がある。
 東京中心:日銀などのメジャーな産業の本社など。皇居。山の手側の迎賓館やシテイホテル、上野→新宿にかけて、ビルがだんだんもとのメジャーでなくなり、場末風か現代の主役風になる。新宿周辺の再開発・巨大ビル・副都心。→明大前→調布:近郊住宅地化→密集住宅地化。など

◆関東山地とそこから流れる川や扇状地
八王子付近〜青梅まで 関東山地の山が見え、多摩川やその他の川の谷や段丘化した扇状地を走る。
 ○奥多摩三山 山の形を覚えよう。大岳山、御前山、三頭山
 ○御殿峠礫層 武蔵野台地の下の南にある丘陵の昔の相模川の礫層。
 秋川から多摩川を越えて青梅へでる
 ○滝川街道
 扇状地の川(石垣の多い所)  →多摩川名物、丸石の石垣
 秋川の扇状地を横断
 扇状地をきぎむ段丘崖  10mで1万年位の段丘が出来る
 ○千葉県の川と関東山地の川
清和県民の森の川なんかが代表でしょうが、千葉の川は、 1、川が緩やか。 2大きな石が流れてこない。 3石を溜める番所がない、などの特徴があり、凄く特別な川である。
 ○これから見る、急で、大きな石がゴロゴロ、かたーい岩でできている川が日本の普通の川である。
 
◆南部フォッサマグナの地史
これから行く、海沢渓谷(関東山地)、徳和渓谷(山梨盆地の北の貫入花崗岩地帯)、大柳渓谷(巨摩山地)は、房総半島もその一環である、本州弧への伊豆半島の衝突を起した、南関東のフォッサマグナ南部の構造運動を受けている。
→その辺を一応、ぺらぺらとおおざっぱに話しました。

 無関係のばらばらの物を見ているわけじゃなく、それなりに、平面的分布や隆起の形なんかにお互いに関係し合っている故事来歴があるんだよねということです。
 滝は、これらの地史の最後の段階の地形(山地の隆起と気候の温暖化、海面の上昇に対応する山地の侵食前線の形成)の1つですので、一応お話ししました。

◆千葉と林が違うなあ・・ 山にかかると明白に違って来ますね。
  植物 モミ ツガ カラマツ林 など、気候が違うのだから当然ですが、

◆数馬峽橋 鳩ノ巣渓谷を覗ける橋 (写真は本間 征氏撮影)
  多摩川本流がドバーツと垂直な渓谷を掘っていることが分かります。橋の高さには段丘や段丘を覆った崖錐地形がある。
  2万年から、急に川が下刻を始めて、急な露岩がの谷を掘り込んだ。
  川だけでなくて、山の斜面も、上の方なだらかで、下が急になります。
 この傾斜変換線が、2万年前からの侵食が到達した場所なので、侵食前線と呼ぶ。
 川の本流や支流の侵食前線が、遷急点という地形で、滝や瀑布帯になる。
 
橋の上から(写真は本間 征氏撮影)。


対岸は土石流扇状地の斜面。
橋の面がほぼ、本流の段丘面と同じ高さ。
以前はここに河床があったわけね。







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