海沢渓谷→徳和渓谷間の写真説明デス | |||||||||||
(1) 奥多摩湖〜柳沢峠 多摩川本流の谷斜面を走る。構造線と地質区 | |||||||||||
海沢渓谷を出て、→小河内ダム→丹波山とすすみます。基本的に多摩川本流の北側の急な谷斜面を走っていきます。 斜面 仏像線 五日市川上線 藤ノ木愛川線 石灰岩 奥多摩三山の山頂 上流ほど地層が新しくなるのは何故 小河内ダム湖と御前山 小河内ダムの資料館駐車場から 奥の山が御前山 写真 本間 征氏撮影 |
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(2) 花魁淵の滝(銚子滝) ---花崗閃緑岩地域(甲府深成岩体)にはいる | |||||||||||
◆奥多摩湖〜柳沢峠 多摩川本流の谷斜面を走る。 ○四万十系の中生代の堆積岩から、深成岩体の花崗閃緑岩の地帯にかわる。 ○花魁淵の滝 丹波山村をはずれ、塩山市に入って、多摩川の本流(一之瀬川)に、柳沢峠方面からの大きな支流、柳沢川が合流する地点にある。一ノ瀬川を渡る橋:一ノ瀬川橋のすぐ先で、駐車場と案内看板、滝見台がある。 このあたりで、岩質が花崗閃緑岩になり、花魁淵の遷急点から上流は、 遷急点の上流で、侵食が及んでいないだけでなく、花崗岩の山で斜面がなだらかになりやすく、ゆるやかな花崗岩の山が広がり、柳沢峠までは高原状をしている。 |
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高さは目測であやしいが、5mぐらいのナメ滝の上に細長い滝壷(花魁淵)があり途中に低い滝で分かれている。どんずまりに、銚子滝がある。 撮影 本間 征氏→ |
銚子滝 滝上で、柳沢川の川幅が広くなり、平坦な河原になる。 典型的な遷急点の景観です。 滝は少し前まで面滝だったが、その副滝が発達して、現在は線滝になっている。溝状、直下、全面滝壷。 高さは未測定。岩質は、細かい節理の花崗閃緑岩? |
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柳沢川が懸谷の瀑布帯になって本流に合流し、典型的な遷急点地形になっている。 その瀑布帯の先端に、銚子の滝があり、その全面滝壷が花魁淵。 そこまで、物凄い多摩川の渓谷が続いているが、そこから上は谷も掘れが少なく、山もなだらかで、。 本流から登って滝下の渕まで行きたかったのだが、それまでに講師本人以下4/5は死亡してしまいそうなので、デキズ。 現在の滝見台からは、右の写真のように、滝がよくみえない。 講師が全景を撮りたいというので、滝見台下の旧滝見台跡まで降りることにする。参加者も皆さん見たくなって降りるというので、転落防止のロープを張って 確保する。 安全には気を使います。(^_^;) ↓ おいらん渕は、ほんとはここじゃないかもなんて、なかなか硬派な 看板。文面もご紹介します。 |
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<おいらん渕の観光案内板文面> おいらん渕 この地を「おいらん渕」というが、土地の人は「銚子滝」という。おいらん渕はこれより上流の藤尾橋近くにある「ゴリョウ滝」のことではないかと伝えられている。 戦国時代、黒川千軒といわれたころ、金山の近く女郎郷に金山坑夫慰安の遊女を多く置いた。ところがタケだけが滅亡し、これ以上経営できなくなり廃山のおりに当時五十五人もいた遊女たちを金山の秘密が漏れることを防ぐため、柳沢川に演台をつくりその上で舞わせた。舞の最中演台を吊っていた藤づるを切って演台もろとも渕へ沈めたことから、「おいらん渕」の伝説が生まれた。下流丹波山村にはその遊女の死体を引き上げお堂を建てて村人たちが供養したと伝えられる。現在お堂はないが、この地を「おいらん屋敷」とも呼んでいる。 黒川金山 ここ南西の地に黒川鶏冠山(標高一七一〇メートル)がある。その山裾黒川にそって黒川金山跡がある。黒川金山の歴史には平安、鎌倉、室町時代を通じてこの地方を治めた豪族三枝、安田、武田氏とのかかわりを伝えている。 また採鉱については武田信虎時代からと伝え、特に武田信玄時代が最盛期であった。武田軍の軍用金の多くはこの黒川金山から産出されたという。ところが武田勝頼のころには衰えて閉山となったが、徳川時代になって、大久保長安らによって再び採掘が行われた。その後金の産出量が減少し閉山となった。黒川金山には、黒川千軒といわれた時代の坑道跡、坑夫の住居、作業場の跡がみられる。この地域は他にも竜喰金山、 牛王院金山などがあり、歴史的にも注目されている。 また、金山を管理する金山衆は、在地武士団を形成して塩山市内上萩原、下於曽、熊野方面に住居を構えていた。 塩山市 塩山市観光協会 |
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◆柳沢峠から甲府盆地 ○柳沢峠から、多摩川の流域から、甲府盆地を流れる富士川の水系になる。 一般的に、水系が変わると、川の侵食基準面が違うわけですから、当然、地形の様子が変わってくるわけです。一般に、分水界までの川の長さが短いほど急な川になるわけで、山も急に下がっていきます。 柳沢峠の場合、多摩川と富士川では、長さは同じぐらいですが、富士川は上流に甲府盆地という構造的な沈降盆地があり、その分、実質川が短くなっています。 ・・・ 塩山市まで、重川という川の谷と扇状地を走る、 扇状地って結構急なのが分かりましたでしょうか。 ○甲府盆地南と東の山 釈迦ヶ岳(御坂山地) 大菩薩嶺、小金沢山(関東山地) 氷の富士山も見えた ○塩山市の名前のおこりの塩山という山:扇状地に周りをうめられた盆地内の高まり。塩の泉が出たからという話 |
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(3)笛吹川の広瀬周辺の滝 一之釜の滝、釜沢の滝、雷の不動滝 ---甲府深成岩体の広瀬花崗岩 |
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◆笛吹川本流沿いの滝をみる。 もっぱら、川沿いの段丘化した扇状地の上を走っていました。 ○一の釜の滝(岩質は花崗岩か溶結凝灰岩かよくわからなかった) きれいな滝でした。線滝で全面滝壷。 ○雷の不動の掩 (雷は地名。線滝 花崗岩 黄鉄鉱) |
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(4) 広瀬で一泊 |
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滝巡り記録 その6 (作成中) もどる つぎへ もくじへ |