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平成19年度千葉県立中央博物館友の会 第1回自然観察会「霧ヶ峰・八島ヶ原湿原」 の参加記録
滝おやじ謹作
  
 
   霧ヶ峰の地形、瞥見メモ 
200/07/8-9観察会実施  2007/07/19 掲示板に速報を掲載。 2008/03/23 追加版up開始   
  はじめに
   人間の踏みつけによる侵食

霧ケ峰の斜面は周氷河作用の緩慢な面的な移動のみが行われ、線的な水流侵食は高透水性のために発生していない。
 そのような環境下で、一旦登山道沿いに線的な斜面侵食がおこると、 表面黒土と斜面砂礫層の基質の流失が起こり、登山道に岩屑流の礫の集積が発生する。
 登山道の下刻による斜面破壊は、ほとんど化石化した斜面に、急速な斜面破壊を発生させている。
 化石化した緑の斜面(歩きやすそう)と、侵食の進む黒や赤色の登山道(歩きにくい)との対比が鮮やかで、霧ヶ峰というと、最初に思い出す景観です。興味深い!
 7/8-9と千葉県立中央博物館友の会の植物観察会『霧ヶ峰高原・八島ヶ原湿原-爽やかな初夏の高原で自然とともに、草原、湿原、森林の観察』に参加しました。

 私は植物の名前を覚えるのはあきらめている人で、「観察会の観察」と「行ったことのないところに連れて行ってくれるので好都合」という不謹慎な動機で参加させていただいたので、まあ、定員オーバーしたら降ります、という腰の引けた参加です。

 さいわい、参加することができ、植物関係の観察会ってのは、こうゆうものかと、色々教えられました。
 テーマが前面にでる地学関係と違って、植物・鳥類現地鑑定会という雰囲気でした。講師は、2人いて、鑑定能力は抜群なのですが、参加者もベテランで、参加者同士、皆で教えあうなど、能動的参加が面白いとおもいました。地学の観察会にも生かさないといけませんね。

  廻ったところは、初日、グライダー滑走路のある山、ビジターセンター、八島ヶ原湿原の南側遊歩道を歩き、強清水泊まり。次の日、車山の西の肩から、車山湿原を見ながら車山の北麓⇒蝶々深山(1836m)⇒稜線通しに歩き⇒八島ヶ原湿原の北と西の遊歩道を廻りました。
  ⇒石井氏アルバムのコース図 ・・・・・・・7/8の分  7/9の分
  ⇒ 正式にはこうゆう観察会だった。・・・原氏作成の当日配布資料を示します。
  ⇒ 当日はこんな様子だった。・・・・・・・石井良三氏作成記録アルバム参照。

「観察会の観察」は以上で完了。

「行ったことのない所に連れて行ってくれるので好都合」の方なのですが、霧ケ峰は
地学的にも面白い所で、堪能しました。とても感謝しています。

 ところで、観察会の趣旨とはまったく別の私の個人的感想なのですが、
「土地の成り立ち」についての情報が、解説板やビジターセンターの展示に全然取り上げられていませんね。

 それが分かりにくいのならともかく、凄く明々白々に眼前に繰り広げられていて、「ほう、霧ケ峰って変わっているなあ、山の成り立ち→岩質→地形→土壌というその地域の地形形成の組み合わせパターンが普通の山と違うなあ。」ということが読み取れました。
 それを、知っててみれば、植物に詳しい人なら、私には見えない高山の草原に住む草花や寒冷な環境に対応している樹木について、私には見えない観察ができるので無いかしらと思います。まあ、自然とは、「地質地下水地形土壌の地学的自然も含めて自然だよね、生物だけではないよね」ということですが。
 ところが、現地の看板やビジターセンターの説明に、現在の地形にいたる土地の成立ち情報が全くといっていい程ありませんでした。
 地形や地質を見るために霧ケ峰に来る人は絶対的少数だと思いますが、植物を見るためにあたって、知っていればもっと面白くなるだろう土地の成立ち情報が、あまりに無視されていると思います。
 というわけで、霧ヶ峰の地形について感想(調査もしてないのですから、ほんとに感想プラス後で少々関連文献をあさって読図した結果) を述べてみます。

 <付けたり 1>
 そもそも、腰が引けていたので、地形図と粗い地質図をざっと見ただけの適当準備で、参加しました。・・・地すべり分布図と活断層アトラスも見ていけばよかったです。実は観察地点も、宿泊場所も活断層地形の上だったというお粗末。

 <付けたり 2>
 こっそり、楽しみにしていた山岳展望は、両日とも梅雨空で、蓼科山ですら一度も見えませんでした。それで、山の地形と地質の関係を眺めようということで、作っておいた「車山山頂より見えるはずの高い山とその周りの低い山の地形と岩質の判定用のカシバード図像」は、全く出番なし。
 このままお蔵入りももったいないので、こちらに出しておきます。⇒ こちらです〔工事中〕。

 〔読まれる方へお願い〕
 以下に書くことは、通りすがりのコメントで、調査した結果ではありません。筆者の意見に賛成するかどうかは、読んでくださった方の判断にお任せします。
 無責任な放言を書いているつもりはありませんが
1日通り過ぎただけの体験から、「霧ヶ峰の地形」について、分かったような結論に達しちゃうのは、かなり危険ですよね。
 もう1日歩くと、ニュアンスが代わり、さらにもう1日歩くと、付け加わりが増え、何回も歩くたびに変わっていく筈です。卒論で現地30日というぐらいですから、1日では、どんな思い違いがあるやら。・・・勿論、後日、文献は調べて、先行する研究とのすり合わせはしていますが。
 つまり、現地での血と汗の調査活動を踏まえているわけでないので、この観察記録の結論の信頼性は、たいしたことないといえます。間違いの指摘、別のご意見等、お寄せくだされば幸いです。

でも、その地域で面白いこと、他の地域を見るときに参考になることって、一目・一日で見えることも多いってのも、あります。 また、論文になってることは、事実〔あるいは事実に近い誤り〕ですが、重要なこと〔人によって違いますけど〕は、より広いのが普通です。

 そんなわけで、僭越ながら、コメントを書かして頂きます。 霧ヶ峰を散策し、景色を見るに当たって、お役に立つことがあればと思います。
  歩きがてらのメモ
 1 霧ヶ峰って、アスピーテ? どうも違うなあ。  ('_')

見た場所:諏訪からバスで登り、車山西方の霧ケ峰自然保護センターから、鐘撞丘(グライダー滑走路のある丘)、車山の南の白樺湖への道など。→アルバム参照。特に、鐘撞丘の地表の断面。
● 読み取れたこと: ムム・・・・楯状火山・・・どうも違うなあ。
● 結果:霧ケ峰はアスピーテ火山の溶岩でできた緩やかな斜面なんかでなくて、成層火山の火山岩屑流よりなる火山原面が大きな谷地形で侵食された地形である。

●観察事項
鐘撞丘から車山方面を望む

赤い屋根は霧ケ峰自然保護センター付近のレストハウス。
手前と中景の丘は、地質図の霧ケ峰U期溶岩の中部層(米沢溶岩)よりなる。右手遠景の車山は、U期溶岩の上部層(車山溶岩)よりなる。
手前の岩は凍上した巨大角礫と思う(後述)。
丘とレストハウスの低地との地形差は、活断層の地溝状の落ち込みによるという(後述)
1.私が高校のころ(40年も前の話ではありますが)、何かで読んで刷り込みになっていた知識によると、霧ヶ峰は、「アスピーテ(楯状火山の用語)の平らな火山原面が高原状に残っている山」である、ということになっていました。
2.楯状火山なら、山体は大部分熔岩層でできているはずです。しかし、諏訪からビーナスラインを登る道すがら、バスの車窓から見ると、熔岩層らしきものが全然なく、斜面堆積物(角礫岩ふくみ)しか見えなかった。
3.車山の西方の自然保護センターで降りて、鐘撞丘に登ったのですが、確かに、緩やかな斜面が広がっていました。ですが、この霧ケ峰の緩やかな斜面は、楯状火山の溶岩層が凸凹しているその表面と言うわけじゃないですね。

(1) 表面には、溶岩層が見えません。ロームもありません。黒土の表土と大小の角礫がぎっしりの角礫層
・・・・後述するけど、表面の溶岩が、周氷河作用を受けて、破砕されて厚い角礫層になってるみたいです。もちろん、火山灰などの風成堆積物は、移動してしまっていて無い。・・・・・八島ヶ原東方のところで、薄くあるのを見ました。
(2) 露頭がないので、地形と溶岩層との関係(後述)は、見られませんでした。しかし、周氷河作用で平滑になっているにせよ、また、これも後述しますが、地形が活断層で変形していることの2点を差し引いても、現在の地形の凹凸(緩やかだが、結構起伏量が大きい)が、形成当時の火山原面のままとは思えません。

 どうも、アスピーテ(楯状火山)ではないようです。というわけで、高校以来の思い込みは、昔の知識かなと思って、帰って調べてみました。 そうしたらガーン。(@_@)

アスピーテという用語は、死語である。・・・シュナイダーの火山分類は使われていない
 鈴木隆介(2004)によれば、『日本ではかって、ドイツのSchneider,K.による火山の形態分類名(例:コニーデ、トロイデ、アスピーテ、ホマーテなど)が高校教科書などを通じて流布していた。しかし、これらの用語はマールを除き、世界的には地形学でも火山学でも全く使用されない。(ドイツの地形学者も知らない)ので、廃語とすべきである。』:建設技術者のための地形図読図入門 4巻 p957より引用。・・・だそうです。

霧ケ峰は、楯状火山ですらない。・・・と言われてしまいました。
 地質調査所5万分の1地質図「諏訪」(昭和28年)の説明書には、霧ケ峰は楯状火山で・・・と書いてあります。しかし、最近は、どうもそうではないようです。
 鈴木隆介(2004)によれば、『日本の山脈の頂部には、きわめて緩傾斜で広い楯状の溶岩流原がしばしば存在する。八幡平(図20.0.10)、中倉山(図18.3.15)、月山(図17.0.12)、苗場山付近(図18.3.11)、霧ヶ峰などがその例である。それらは擬似楯状火山または溶岩の多い成層火山の一部(溶岩流原の残片の火山原面)である。』:建設技術者のための地形図読図入門 4巻p984 より引用。・・となって、楯状火山は否定されています。

以下

●地形と溶岩層の関係

溶岩層の年代:70−130万年。火口はおろか火山原面も消滅している火山が普通なほど、古い。

中井ら(2000)の、→データから溶岩層の崖を入れると→尾根や谷が溶岩層を切っている。

 全体の地形は、緩やかで、一見、火山原面のようであるが、緩やかな斜面ではあるが、溶岩層を各所で切っていて、溶岩層の堆積表面ではなく、緩やかな侵食面であると思う(後述)。
 斜面表面は平滑で緩やかになっていて、周氷河作用により平滑化された化石地形化しものと解される(後述)。


◇地質図+地形図・・・・断層も記入
◇地質断面図・・・2945、
□2991 右側の火口壁
□グライダー丘
□車山

 2 結構凄い、周氷河作用の埋積 (p_-)
谷が盆状に緩やかなのですが、氷期前にある程度侵食されてできた谷を、氷期に周氷河作用によって大規模な斜面クリープで、谷が埋積されて平滑な緩やかな地形になったのでした。 

 
 3 山は眠りについていました (-_-)zzz
 現在の地形は、化石地形化していて、まさに、山は寝ています。
 つまり、現在の気候下では、斜面は、周氷河作用も無く、透水性が良いので地表水ができず、地形形成が止まっています。周氷河クリープが終わった後、地表に30-40cmの黒土層ができただけ。
<鐘撞丘から車山 車山だけ熔岩があるので小高い。他は小起伏で、平滑。周氷河クリープで埋められている。>

  
 4 一番活発な地形作用は、人間の踏みつけ (^_^;)
山が死んでいるだけに、現在一番活動的な地形変化作用は、人間の踏みつけ作用でした。踏みつけにより、草原が裸地になると、降雨の際に地表水が発生し表土と地層のマトリックスの泥や砂を流失させるので、岩屑流の大小の礫(1m近いものもある火山岩礫)が取り残されて集積した凹地になります。登山道の周りに延々とロープが張ってあり、湿原の周りの斜面では、空中の木道になって、草原のものには全然触れられないのですが、これだけ脆弱な自然(地形)では、しょうがないでしょうね。

<踏みつけにより草原から悪路に変貌した道。斜面は周氷河クリープの斜面に氷期後の薄い黒土層。礫は空中にあった。>

 5 車山北麓の遊歩道がよかった。地形屋の天国 (^_^)v
車山北麓の湿原沿いの道では、クリープで動いてきた巨礫が斜面下部に集積している様子や階段状の斜面が湿地化しているようす、あるいは、踏みつけによる登山道の角礫集積による悪路化などが、よく見られました。微細な地形の違いに対応した植生の違いなんかも見えます。
 あと、その日の朝に出てきたシカの足跡やニッコウキスゲの花をムシャムシャやった跡などあり、動物による害も深刻なようです。
 
 6 八島ヶ原湿原の活断層は、眼福ですね。 (^v^)
古い地質図には描いてなかったのですが、霧ヶ峰は火山帯の破壊に伴う、活断層群が発達していました。帰って、活断層図で確認しましたら、霧ヶ峰断層群といわれる活断層で、八島ヶ原湿原の南側の直線の崖などは、その代表例でした。というか、山上にある、八島ヶ原湿原、車山湿原、池のくるみ湿原、強清水湿原は、全部、その地形の成因が活断層による凹地形成に起因するようです。
 <八島ヶ原湿原の南岸展望台。柵の下が高層湿原。黄色線が活断層崖。湿原の周りの斜面は、周氷河クリープで平滑、緩傾斜。>
 7 八島ヶ原湿原の周りの地形・・・わけわからん? (+_+)
八島ヶ原湿原の西と北の地形は、まるで、氷河のモレーンのようになっているのですが、普通の侵食地形ではありえない形だし、といって、活断層の横ずれによる地形だと思うのですが、なんとも、説明がつきません。歩きながら、半日ウーームと唸っていたのですが、どうにも、イメージがわきません。誰か教えてもらえないでしょうか。
 8 活断層の堰き止めによる流路変更  (^_-)-☆

八島ヶ原湿原は、断層により凹地ができて形成されたのは確かですが、それ堰き止め以前の谷は、今の湿原の西の合倉沢の方に流れていたものと思われます。断層堰き止めによって溢水して、流路が変更し、現在の南への流路を取り、観音沢へ流れるようになったと思われます。

 9 小川に巨礫  (^◇^)

 その、新たに形成された八島ヶ原の排水路(観音橋から湿原端まで)は、いわゆる湖尻川になっていて、河床に、クリープにより供給された巨礫累々として、運搬力が無いこれぞ湖尻川という景観です。・・・下流に下がっていくと回春による遷急点があり、段丘化した大きな土石流堆積面がありましたが。

す。 
 10 ろくな看板がない  (=_=)

 いつものことですが、優れた天然記念物の自然景観を有する所なのに、「景観から、この自然はどこが優れているのか、凄いのか」を説明する看板というのが、全然ありません。高層湿原ですら、見えるところに景観図の看板がないというのは、おかしいです。
 博物館で、「□□の自然」というジオラマを作ったら、必ず、解説板を付けます。植物の名前だけじゃなくて、それがどうしてできたのか、などの説明をね。美術館なら、鑑賞は個人の責任といっていられるけど、それでも最近は、彫刻の見方、絵の見方をやってますよね・・・荒廃した悪路の登山道、など、最良の自然保護の展示物と思いますが。


<名称のあと、説明が6行。禁止が7行。後半分は英文。・・・情報が全然無いので、心に訴えるとは思えませんね。>

 11 ビジターセンターの展示 (=_=)

 毎度のことですけど、「土地の成り立ち」についての、目配りが全然ありませんね。
車山が最後の爆発をしてで終わり・・つまり、地質のところまでで、解説がなくなってしまいます。
活断層はおろか、周氷河地形も無く、黒土の形成もありません。踏みつけによる自然破壊はあったかなあ。 生物しか見てないとおもうのは、地学屋の僻みか・・。



終わりに  (^_^)v
 <参考文献>

 

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